実はアナログ人間

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理系の高専を卒業し、大手電機メーカーでエンジニアとして14年間働いた。

根が文系、といっても男子の性向にありがちなメカ好きな部分はあったので、
メカやAV機器をいじったりするのは嫌いじゃなかったし、
入社後に急速に進化してきたコンピュータ文化、インターネット文化にも
比較的すんなり順応してきた。
それらの文化に対する苦手感や抵抗感はほとんどない。

ガジェットの流行にもそれなりに敏感に反応し、
若者にありがちな「新しもの好き」という性向も手伝って、
20代から30代前半、つまり会社を退職するまでは、
AV機器、IT機器などのガジェットに常に興味を示し、
パソコン、デジカメ、PDA、ノートパソコン、ビデオカメラなど、
それらの最新機器を常に買い揃えていた。


ただ、今、その頃を思い返してみてふと思うのは、
それらの機器を真に使いこなしたことは一度もなかった気がしてならない、ということ。
歳をとったからデジタル機器への興味が失せたのではなく、
元々自分はアナログ人間だったんじゃないか、と。


デジタル人間のようで、実はアナログ人間。

そしてそんなアナログ人間である自分が嫌いじゃない。

1.テレビとパソコン

会社に就職して2,3年たった頃に、
大枚はたいてGatewayのデスクトップPCを購入した。
当時はまだ56kモデムでネット接続する時代で、
最高スペックのマシンでありながら信じられないくらい速度が遅く、
イライラしながらネットサーフィンをしていた。

当然パソコンを有効活用しようなんて思うはずもなく、
しばらくは無用の長物と化していた。


今でも家にいるときは、テレビとパソコンの電源はつけっぱなしである。

ヒマなときはテレビを見てるか、パソコンでネットサーフィンをしているか。
今のところはテレビとパソコンは必需品であり、
これらなしでは僕の生活は成り立ってゆかないほど。

しかしその一方でこれらは必要悪ではないか、という疑問が常につきまとう。
僕は頭痛持ちであるが、その原因はこれらの電子機器から発する
電磁波の影響も少なからずあるような気がしてならない。
それでもテレビとパソコンの前から離れられない。

...一種の麻薬中毒状態だ。


2.「ユビキタス」世界ははたして幸せなのか?

僕の生活のアナログ化は大学に入ってから、
徐々に顕在化していった。

まずガジェットへの興味が薄れた。

退職して経済的に苦しくなった、という状況もあるけれど、
それによりガジェットを買えなくなったという飢えとか渇望は
意外にもほとんど湧かなかった。

特にモバイル機器への興味はとんとなく。
もともと気性がのんびりしていたのだろう、
移動している時間を使ってまで、ガジェットをいじっていたい、
という欲は元々ほとんどなかった。

携帯電話も早くから持ってはいたけれど、
ブログ用に写真を頻繁に撮るようになるまでは、
ほとんど使うことはなかった。
元々目の見えない(見えたとしても実体のない)相手との
コミュニケーションが苦手なので、
メッセンジャーやSkypeなどといったチャットにも結局馴染めず。

決定的だったのはiPhoneに対してもそれほど興味を示さなかったこと。
かつてのPalmなどに比べて格段に進化したこのPDAツールにも、
僕はそれほど興味を示さなかった。

けしてiPhoneの価値を認めないわけではない。
ただ僕の性向がこのツールをそれほど必要としなかったのだ。
このことが僕にモバイル機器の不要性を確信させた。

今のところ、僕の周囲でモバイル機器を使いこなしている人間と、
そうでない人間の間に決定的なインテリジェンスの差異は認められない。

モバイル機器の進化と共に「ユビキタス」というキーワードが頻繁に使われるようになった。
しかし「いつでもどこでも」デジタルの恩恵を被ることははたして本当に幸せなのだろうか。
便利さの追求のためとはいえ、個性溢れる世界をサンプリングにより1と0のみ、
"All or Nothing"という均質化された世界に魅力はあるのか。

いまだにユビキタス社会の良さが僕にはピンと来ない。


3.ブログとSNS

退職直前にデジハリに通った頃は、ブログとSNSにはまり、
数多あるブログサービス、SNSサービスに片っ端から手を出した。

今は安定したサービスが1つ2つあればよく、
ブログはMovableType(あるいはWordPress)、
SNSはミクシィとTwitterで十分。


4.デジタルは「中間過程」

大学の課題でも、グラフィックで済むようなものよりは、
模型や実物など、形として残るような作品を好んで作る。


だからといってデジタルの価値に失望したわけではない。
依然としてデジタルは現在の情報化社会にとって、
有効なツールであるとの認識は変わらない。

ただ疑問に思うのはデジタルとアナログとのバランスを考えたとき、
あまりにもデジタルに主体を置きすぎているのではないか、ということ。
どんなにデジタルが即効的で効率的であっても、
所詮デジタルには「実体」がない。
実体のないデジタルで満足していては、その先にあるアナログが見えなくなる。
デジタル世界を充足させれば、自然とアナログ世界が充足するわけではない。
デジタルをアナログに変換する「DA変換」が、
デジタルの役割をリアルワールドで生かすために必要なのである。
「DA変換」を意識しないデジタルに、魅力などない。

実体あるリアルの世界においてはデジタルはあくまで「途中形態」。
その先にある「実体」の大切さをもっと大切にすべきではないだろうか。


その想いから僕は徐々にアナログ人間に戻りつつある。