「仕事」と「生業(なりわい)」

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今週のココリコミラクルタイプは「ちょっといい話」SP。

ココリコメンバーがおでん屋(という設定で)で和気藹々と
マジトークで語る「ちょっといい話」。
いつもは爆笑モードだけど、今回はちょっとしんみりモード。

その中でもひときわいい話をするのはやはりリリーさん。


昔は、その行為自体が直接稼ぎになるもののことは「仕事」とは呼ばず、
「生業(なりわい)」と呼んでいたそうです。
そして、その行為自体は稼ぎにならないものを「仕事」と呼んだ。

たとえば農業で、とれた農作物を販売する行為は「生業」、
農作物を育てるために土を耕す行為は「仕事」といった具合に。

土を耕す行為自体はなんの稼ぎにもならないけれど、
いい農作物を作っていい値で売るには必要不可欠な行為。
現代人は「生業」を行う人は多いけれど、「仕事」をする人は少なくなったのでは?
と、リリーさんは社会に問う。

確かに。
目先の利益にとらわれる人が多い世の中になった。
それで争いが増え、醜い犯罪が多発するようになったともいえる。


でも。
その逆もまた問題だと思う。
僕自身は「仕事」ばかりを追い求め、「生業」をしてない気がするから。

大きな組織下では作業は細分化される。
「生業」を担当する部署、「仕事」を担当する部署といった具合に。
そして僕は長年「仕事」を担当する部署にいた。

だから「生業」を行う術を知らない。
「生業」は利益を得るための行為である。
その術を知らないのに僕は利益(給料)をずっと享受してきた。
その矛盾にずっと漠然としないものを感じていた。
しかし見て見ぬふりをしてきた。
そのもやもやがたまりにたまって、今回の退職に至ったような気がする。

「知識」を貯めるのが好きだ。
情報収集するのが好きだ。
それは「生業」を行うためには必要な「仕事」ではある。
その仕事に僕は確固たる自信を持っている。
しかしやはり「生業」を行わなければ利益は得られないもの。
だからこれからは「生業」を行わなければならない。

それが今後僕がするべきことなのだろう。