レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展【愛媛県美術館】

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[訪問日:2017年11月11日、11月25日]


愛媛県美術館で開催中のダ・ヴィンチの展示に行ってきました。
...半年前のことだけど。


ダ・ヴィンチの展示は今回で3回目です。
最初は2005年にビル・ゲイツ所有のレスター手稿が六本木に来日したとき、
2回目は2007年に上野に「受胎告知」が来日したとき。
そして3回目となる本展ですが、
今回の目玉である「アンギアーリの戦い」はレオナルドが描いた実物は登場しません。


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16世紀初頭、当時のフィレンツェ共和国の国家主席ピエロ・ソデリーニは
ルネサンスの巨匠二人にヴェッキオ宮殿の五百人大広間の壁画制作を依頼します。
ダ・ヴィンチは「アンギアーリの戦い」を、
ミケランジェロはその対面に「カッシナの戦い」の制作に取り掛かりますが、
しかし不運にもこの2つの壁画が完成することはなく、
ミケランジェロの壁画は彼の才能を妬む者の手で切り刻まれ、
ダ・ヴィンチの壁画もおおよそ50年もの間放置された挙げ句、
1560年代前半の改修工事によりジョルジョ・ヴァザーリの大壁画で覆い尽くされてしまった。

つまり今となってはレオナルドとミケランジェロが描いた実物作品を拝むことは叶わず、
彼らの作品が存在していた時期にそれらを見て描いた模写作品の数々にのみ、
作品の痕跡をうかがい知ることができるのです。

「タヴォラ・ドーリア」と呼ばれる作者不詳の模写作品を東京富士美術館が購入し、
その後イタリアに寄贈、イタリア政府との間に交流協定が結ばれ、
2014年〜2018年の間に日本で展示をする権利を得たことで本展は実現しています。


目玉となる実物作品がないにもかかわらず、
仮に存在していたとしても未完成の作品がなぜここまで話題となったのか。
見方を換えれば、実物作品がないからこそ、
「アンギアーリの戦い」と「カッシナの戦い」はルネサンスの二大巨塔の幻の対決として、
話題となったと言えるのでしょうか。


タヴォラ・ドーリア
640px-Leonardo_da_vinci,_Battle_of_Anghiari_(Tavola_Doria).jpg
[出典:Wikipedia]

「アンギアーリの戦い」は1440年6月29日にフィレンツェ南東部の田舎町アンギアーリ村で起こった、
ミラノ公国とフィレンツェ共和国との争いで最終的にはフィレンツェ共和国が勝利しました。
壁画制作を依頼したソデリーニはフィレンツェの勝利の栄光を描いてもらいたかったのだろうが、
鬼気迫る兵士たちの表情は勇ましさを通り越して狂気すら感じさせる。
ダ・ヴィンチは戦争の狂気・絶望による悲壮感をも描きたかったのだろうか。
また複雑に入り組んで軍旗を奪い合う、一見して分かりにくい構図は、
理路整然としたルネサンスを脱し、ダイナミックにねじれてゆくバロックに向かっていたのだろうか。

「タヴォラ・ドーリア」の立体復元彫刻はこの複雑な構図を理解するのを助けてくれました。


バロックの巨匠・ルーベンスも模写してました。

Peter_Paul_Ruben's_copy_of_the_lost_Battle_of_Anghiari.jpg
[出典:Wikipedia]


そのルーベンスの模写を模写したヘラルト・エデリンクの版画。

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[出典:Wikipedia]


ミケランジェロ「カッシナの戦い」。

Battagliadicascina.jpg
[出典:Wikipedia]

1364年の対ピサ戦(カッシナの戦い)において、
アルノ川で水浴びをしていたフィレンツェ軍が敵の急襲を受けて戦闘態勢に入るさまを描いた。


図録1
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図録2
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