家族の「絆」

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最近の憂鬱の一因。


久しぶりに祖母から電話がありました。
祖父の一周忌の知らせでした。

大学の卒業制作最終提出〆切直前での訃報がついこの間のように思える。
一年前はまだ学生だったんだなあ。
学生時代が遠い昔のことのように思える。


田舎では「家族」を嫌でも意識させられる。
田舎では「生きる」ことが本当に大変だから、
家族で助けあって生きるのが至極当然の生き方になる。
母屋があって、離れがあって、二世代、三世代同居が自然の姿。
独身、というより独居世帯は家族世帯に比べると「生存能力」は低くなる。


「家族」が田舎での生活基本単位なのである。

遊子川でそういう家族の「絆」を見るたびに、
自分の家族への縁の薄さを痛感してしまう。


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僕の家族はバラバラ。

幼い頃、両親に捨てられた僕と妹は父方の祖父母の家に引き取られた。
父は祖父母に僕達の生活費を入れてたみたいだけど、
子どもの時分にそんなことが分かるはずもなく、
思春期は自分たちを捨てた両親をかなり恨んだ。

妹は逆に親子を引き裂いたのは祖父母だと思い込み、
16の時、家を飛び出した。
以来、妹は祖父母と折り合いが悪い。
彼女が18の時一度再会した後、そこから再び兄妹が出会うには15年の月日を要した。
父親のようにはなるまい、とあれだけ強く思いながら、
結局二人とも結婚に失敗し、妹には子どもが二人もいた。

最近になってようやく妹とはポツポツ連絡するようになったけれど、
父とはいまだにほとんど会う機会もなければ話す機会もない。
1年前祖父が他界して、その葬儀で久々に会い、二言三言言葉を交わした程度。
それでも会うことすら嫌がっていた二十代までを思うと、かなりの進歩だ。

親代わりに育ててくれた祖父母に対しても、思春期を迎えてからはことあるごとに反発した。
祖母の躾が厳格だったぶん、なおさら反発は激しく、とにかく早く家を飛び出したかった。
二十歳で高専を卒業して上京後はほとんど祖父母の家にも帰らなくなった。

三十代で夢敗れたとき、はじめて自分の身勝手さを知った。
しかし第二の人生をスタートすることに貯蓄を使い果たし、
親孝行したいと思ったときに自分にその力がないことを死ぬほど悔やんだ。


僕は自分勝手な人間だ。
いまさらこんなことをここに書いてなんになるのだろう。
何度懺悔すれば気が済むのだろう。

祖父の一周忌を前にして、ちょっとおセンチになっているんだな、きっと。


こんな僕でも、人運は良い。
僕と出会う人はたいてい良い人たちだ。

良い人がそばにいると、自分も良い人であらねば、って気になる。

やっぱり遊子川に来て良かった、って心から思う。
ここでなら、身勝手な自分を変えられる気がする。


一周忌にはたぶん父も来るだろう。
その時どんな言葉を交わせばいいのだろうか。

それを考えると憂鬱になる。