道刈り

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東京から帰った翌日。

さっそく道刈り。


短い帰京で懐かしい面々にあってる間に、再び東京生活に舞い戻ったかのような錯覚も、
一気に吹っ飛ぶ。
正直出張で疲れた身体にはきつかったけど、心がここにあることを実感できてよかった。


今の僕に身近なものは、実体のないデジタルではなく、目の前に確かに存在する大自然。
大自然は「生きる」ことは戦いであることを教えてくれる。

他人に勝つことではなく、己に勝つことに意義がある。
自然と戦い、己が生き残ることに意義がある。


その上でヒトは人間として生きることが許されるのである。


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草刈りは田舎の基本です。

草を刈らなきゃ住む場所を草に乗っ取られてしまう。

遊子川に来てはじめて草刈機を握りました。
最初はエンジンをかけるのも満足にできず、上手く草が刈れなかった。
今もまだぎこちなく、それなりに苦労しながら草を刈ってます。

草刈機にもいろいろあって、刃の形状や、柄の持ち方などでさまざまなタイプがあります。
写真のは金属の刃で「チップソー」というもの。
このほかに刃がプラスチックの紐タイプのものもあります。
こんなんで草が刈れるんだ、と思ってしまいますが、
比較的低い草を丁寧に刈りとることができます。
一方チップソーは、パワーがあって、長い草や太い草木を一気に刈り取れます。

その他バーの形状もいろいろあって、オーソドックスな長柄をそのまま持つタイプ、
長柄に垂直に持ち手が取り付けられているタイプ、
長柄にショルダーベルトが付いていて、肩にかけて使用するタイプなどがあります。
使う人によってそれぞれ好みやこだわりがあるようで、観察していると面白い。

僕自身はまだ自分の草刈機は持ってなくて、
公民館にあるオーソドックスタイプを使わせてもらってますが、
まだ慣れてないせいか1時間も刈っているとぐったりしてしまいます。


でも、こうして遅まきながらちゃんと「生きる」ことを一歩一歩噛み締めている。
それは本当に幸せなことだと思うわけで。


気がつけばもう秋。
畦にはヒガンバナが咲き誇る。

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朝夕は窓を開けていると寒い。
すっかり秋ですねえ。

紅葉が楽しみな今日この頃。


一汗かいたあとは青空の下で慰労会。

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都会でも外でバーベキューなんてよくある光景だけど、
やはりそれは「ポーズ」になる。

ポーズではなく、自然なスタンスで青空を見上げる。

そんな生活、素晴らしいと思いませんか?