雨包山ガイド(素案)

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はじまりは「雨包山への登山道の写真が欲しい」という依頼からでした。

遊子川に来て一年ちょっととはいえ、すでに何度となく足を運んでいる自分にしてみれば、
迷うことなんて考えられないのですが、ほとんど足を運んだことのない人にすれば、
やはり不安なようです。
過去にも迷った、という苦情の電話が公民館に来たこともあります。


どうせなら、ということでこの際、雨包山の魅力を紹介したガイドを作ろうと思いました。

このガイドに何を載せれば良いのかはもっか思案中ですが、
まずは依頼のあった登山道のガイドを中心に素案を作ってみました。

イメージを形にする。
昔はその「形」が確固とした現実世界に定着させることができるまで、
そのイメージを関係者以外に公開することはなかった。
イメージを形にして社会に定着させるまでのノウハウは経済的価値があったから。

しかしデジタル技術の進化と共に、イメージそのものを社会に定着させることが可能になると、
イメージを形にする行為が軽視されるようになった。
いわゆるハードウェアに対するソフトウェア優先志向である。


その良し悪しを議論する気はないけれど、僕自身はその傾向があまり好きじゃない。
なぜだろう。
たぶん重力から離れて動きまわることに強い抵抗感があるのだろう。

ハードウェアの価値再興への挑戦。
それが今の僕のオープン・ソースならぬ「オープン・イメージ」思考の根幹になってる気がする。


設計段階でイメージを公開し、広く是非を問う。

...イメージから「形」への構築で勝負だ。


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雨包山は遊子川の最大の魅力のように僕には感じる。
しかし、エベレストでも富士山でもない、どこにでもあるような山である。
しかし、世の中すべてのものが「どこにでもありそうで、どこにもない」ものなのだ。

一目で「世界にここしかない」と分かる場所は一見、インパクトは強い。
しかし、その多くは一生をかけて自分が過ごす場所ではない。


どこにでもありそうな場所で、どこにもないものを探すこと。
そういう冒険が案外楽しかったりするんじゃないだろうか。