地域マネジメントスキル修得講座【第5回-1】

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愛媛大学地域マネジメントスキル修得講座第5回1日目。

いつもの場所...と思いきや、
いつもの場所が入試で使えないため、別の教室へ。


午前中はプロジェクト研究の検討。
提出論文の形式について説明を受けた後、現時点での各自のテーマ概要を口頭発表。
僕は一貫してメイン業務の「地域木材の有効活用」。
ただテーマは一貫しているものの、「なにを研究するのか」という論旨に関しては
まだ絞りきれていない状況です。

売れる木工品をつくること、木工所が地域活性化の場となること。
この二つを満足する施策を計画実施するための助けにしたいことは確実ですが。

いずれにせよ、まずは提出論文を意識して、テーマの背景、目的、実施方法、計画などを
近いうちにまとめたいと思います。


午後は芳之内正幸先生の「地域担い手形成論」。

食料自給率や農業就業人口などの統計から、理想の地域の担い手を考えよう、というもの。

人類の最初の革命は農耕革命だった。
それまで食料を求めて移動を繰り返していた狩猟の民は、
土地を耕し、食物を栽培することで安定して食料を確保する術を覚え、
土地に定着した。

それから次の革命である産業革命まで、農業は人類の主要産業だった。
産業革命以後、農業以外の産業が急激に伸びはじめ、
人類の主要産業は一次産業から二次産業・三次産業へとシフトしていった。

しかし人類の生活の根幹が食にあることには変りない。

多様化する現代社会において、食の大切さを人類はいかに意識すべきか。
そこから地域の担い手を考えることがはじまる、ということなのだろうか。


日本の食料自給率は40%だという。

それは日本では食料を輸入しなければ、10人のうち6人は餓死するということだろうか。

食料自給率を数値で表すにはいくつかの基準があります。
40%というのはカロリー(熱量)ベース。
金額生産ベースでは66%だそうです。
そのほかに重量ベースというのもあります。
国策で自給率を低く言っておくほうが都合が良いので、
カロリーベース表記になっているとかいないとか。

正直数字にはあまり強くないので、数値から状況をイメージする、
というのがどうも苦手です。


日本では一人の農業者で25人の人間が養えるそうです。(2005年現在)
一方、オーストラリアでは114人、カナダで126人、アメリカではなんと134人。
いかに日本が大規模農業を展開できず、コスト的に不利な状況にあるかが見えてくる一方、
農業者一人で25人も養えるのか、という驚きもありました。
工業やサービス業従事者がどれくらい養えるか、というデータはないので、
産業間の比較はできないですが、もしかしたら第二次産業、第三次産業は
農業ほど人口扶養力がないので、必然的に従事人口が多いのかもしれない。
単純に従事人口の大小で過不足を論じるべきではないのかもしれない。

一方で農地1haで何人養えるか、というデータでは数値が逆転します。
日本の9.33人に対し、なんとアメリカは0.88人、カナダは0.66人、
オーストラリアにいたっては0.11人。
いかにアメリカ、カナダ、オーストラリアが面積にものを言わせて生産高を稼いでいるか、
が分かる反面、日本が狭い耕地ながらも技術力を駆使して頑張っているか、
というのが伺えます。

しかしそれでも日本の農業は赤字が基本で、国策による援助が大前提という不思議。
すべての人間に必要なもので、もっともシンプルな産業のはずなのに、
もっともシンプルなビジネス原理を適用できない不思議。

しかし考えてみれば、農業はもっとも難しい産業なのかもしれない。
他の産業に比べるともっとも自然の影響を受けやすく、
生産活動から利益を得るまでの期間がもっとも長い産業。
ハイリスク・ローリターンというもっとも苦労が報われにくいのかもしれません。


考えれば考えるほど、農業の経験のない自分が農業にチャレンジすることの難しさにぶち当たる。
かといって安易に第三次産業で取り組むことが本当に一次産業に貢献できるのか、
という疑問にもぶち当たる。

最初から食以外の「モノづくり」に取り組むことに決めていたとはいえ、
食での地域おこしに二の足を踏んでいる自分の消極姿勢の一員がここにある気がします。


すべて人が自分で食糧を確保する術を自然に備えていたら。
そもそも農業は産業にならず、しかしそれでも人類は飢えることなく、
他の産業に思う存分取り組むことができるのでは?

...というのは食に無頓着な人間の愚かな妄想でしょうか。