地域マネジメントスキル修得講座【第3回-2】

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【遊子川の水田】


愛媛大学農学部地域マネジメントスキル修得講座第三回二日目。

午前中は講義、テーマは「現代日本の農業政策」。
講師は農水省に30年勤め、愛大で10年ほど教鞭をとっているという大隈満先生。

最初は、とっつきにくくて分かりにくい内容そうだなあ...
と思っていたら、意外にも面白くて分かりやすい。

僕自身は農業の経験はほとんどなく、
実家も祖父が趣味で野菜作りをしていた程度なので、ほとんど縁もなく。
農業素人な人間には大変勉強になりました。


僕はこれから農業で仕事をしていく、ということはあまり考えていません。
働く意味を深く考えてなかったにせよ、自分は二次産業の世界で仕事をしてきたし、
ジャンルとスケールをがらりと変えるにせよ、これからも「ものづくり」で
生きていきたいと考えています。

ただ「自分が食べるものを自分で作る」ことに関しては興味があります。
食べ物はお金を払って空から降ってくるのではなく、
苦労して人が育て、加工して作られているのです。
そのことを多くの現代人はあまりにも意識しなさすぎる。
だから平気で大量のゴミを出し、そのゴミで自らが苦しむような社会になってしまった。
...そんなふうに思えてならない。


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【遊子川のトマト畑】


※ 以下は講義を元に自分なりの意見を加えて整理したものであり、
 講義の内容を紹介・代弁するものではありません。


「農業は産業か?」

...何を今さら。
「第一次産業」というくらいなのだから、当然産業だろう。

...と普通なら思うわけなんですが、話を聞いていたらなるほど、
そう問いたくなるのも無理もないなと。

経済の基本式は以下のように表せます。

 P(価格)× Q(生産量)ー C(コスト)= π(利益)> 0

これが成り立たないのがいわゆる「赤字」状態です。
農業は基本的に赤字産業である。
しかし人間社会においては重要な産業であるから、
赤字分は国が補償してでもやらなければならない。
これが戦前に形作られた「農本主義」だそうです。

基本的に赤字状態である産業を「産業」と呼んでいいのか。
二次産業、三次産業の立場にいる人間からすれば、至極当然の疑問ではあります。

なぜ農業をビジネスとして捉えないのか。
農業にはなぜ経営感覚が欠如しているのか。
そこには単純に農家だけを責めることのできない、
国策と絡んだ根深い事情がありそうです。

単純に考えて、初期投資が大きく、利益を回収するまでに時間がかかる。
作物の出来栄えは天候に左右されやすく、ハイリスク・ローリターンである。
農業が簡単なビジネスではないことは簡単に想像できる。

しかし国は神様ではないのだから、その農業の欠点を完全にはフォローできない。
すべてを救済できるような夢のような手法なんてあるわけがないのだから、
どうしても公益・国益追求は二次的なものにならざるを得ないし、
弱肉強食、という自然の掟を考えれば私益優先という資本主義社会は
至極当然の社会のような気もする。

人間は誰しも頑張るのが当然だし、その上で学び、工夫する努力が必要なのである。
どんな事情があるにせよ、経済社会で生きる以上、私益を追求するのは当然の行為である。

自分がどれだけ投資し、どれだけの売上を上げ、どれだけの利益を回収できるか。
今、農業に必要なのは手法ではなく、経営感覚を身につけることではないだろうか。

農業に素人な自分に、ことさら農業を批判する気はありません。
ただ、学ぶことはできる。
自分も二次産業に身を置いていたとはいえ、
大きな組織に属していると業務の細分化により経営感覚が麻痺してしまう。
産業の種類のみならず、組織のスケールにも十分配慮する必要があるのだろう。

経営におけるプロセスにはPDCA(Plan-Do-Check-Action)が不可欠である。
農家の人は、丹誠込めて作物を作ることには努力を惜しまないけれど、
自分たちが作った製品が市場でどのくらいの価値があって、
自分たちが生きていくためにはどれだけの価値を付与しなければならないのか、
これまでは、それを農協がしていたわけだけど、それも破綻の兆しが
見え始めているから農業がこれほど大変な状況になっていて、
農業に魅力を見出せないから、就業人口もどんどん減っていく。


食は人間が有機体である限り、永遠に必要なものであり、社会の基幹で在り続ける。
そういうモノに希望や魅力を見出せない状態は決して健全ではない。

食の魅力について、今一度根幹から見直さなければならない時がきているような気がする。