過疎シンポジウムなるものに行ってきました。
毎年場所を変えて開催されるのだそうですが、今年は地元西予市での開催。
会場は宇和文化会館。
今年のテーマは「過疎地域の底力 〜地域再生への新たな決意〜」。
二日間にわたって開催されるもので、
一日目は全体会として、基調講演と5人のパネリストによるパネルディスカッション。
二日目は、4つの会場に分かれて分科会の開催。
今回は初日の全体会だけ参加してきました。
パネリストには今回の大震災で町をまるごと失った、陸前高田市の人も来られてました。
「心が過疎になってはいけない」
...感動した。
あらためて、地域おこしに必要なものは「手法」ではなく、「感動」なのだと思った。
やらなきゃいけない、という義務感ではなく、やってやろうぜ、という元気だと思った。
地域を活性化させるのは技術ではなく、人なのだと思った。
便利さと引き換えに、人はなにを失ったのだろう。
「工夫する楽しさ」を思い出すこと。
それが地域の再生、ということではないだろうか。
[宇和文化会館]
地域おこしというと、まず手法が先行しがちのような気がする。
しかし、地域おこしは長い目でみなければならない。
応急処置的な手法先行型の地域おこしは長続きしない。
もちろん手法も大事である。
しかし、地域おこしが難しいものだからといって、
手法をことさら難しくする必要はぜんぜんない。
地域おこしが難しいのは、
地域おこしが必要だということを多くの住民に理解してもらうことではないだろうか。
住民が一丸となって地域おこしに高いモチベーションを持って取り組む。
この状態に持ち込めば、どんなことだってできる。
成功事例をヒアリングするたびに、この結論に至る。
手法が感動を呼ぶこともあるのかもしれない。
しかし、基本はまず「感動」が行動を喚起し、行動が手法を喚起する。
地域に眠っている「魅力」を見つけること。
これが最初にしなければならないことのような気がする。
ただひとつ、疑問に思ったのは、定住人口より交流人口を増やすことを重視していること。
定住人口を増やすことをあきらめていること。
質問者の質問の仕方に若干トゲがあったような気はするけど、的は得ているように思える。
都会のように増やすことはないけれど、ある程度は地域を充実させるための適正人口、
というものがある気がする。
対する回答は「難しいから」。
もちろん実施者ならではの率直で、説得力ある回答なのだと思う。
でもやっぱり、素人目には交流人口を増やすのは過程であって、最終ゴールではない気がする。
一時的な来訪者と、永住者とでは地域に対する愛着は天と地ほどの差があるような気がする。
だから3年割り切り型、という地域おこし協力隊の制度は不十分で、
この制度を利用する地域自治体は定住に対する何らかの方策を独自に考えるべきだと思う。
もちろんこの制度を利用する隊員も、制度に頼り切るのではなく、
制度から脱却して自立するまでのプランを立てるべきである。
いずれにせよ、着任半年の若輩者としては、
今は理想論を語るのみだ。
しかしそれも大事なことだと思う。
夢を持つことが、感動与える第一歩なのだから。
夢をいかに表現し、実現していくか。
思いは尽きない。
コメント