二十八光年の希望 【辻仁成】

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日本人初の三ツ星シェフを夢見てパリのレストランで働くハナと、
家族も顧みずに三ツ星獲得を目指す総料理長ジェロームの物語。
外乱に振り回されながらもようやく結ばれた二人だったが、
ハナの身体は感覚・感情不全症候群(SEDS)に蝕まれていた...

SEDSが本当に存在する病気なのかはよく分かりません。
ネットを検索してみた限り、日本語ではほとんどヒットしませんでした。
実在したとしても、日本ではかなり希少な病気なんでしょう。

感覚と感情が徐々に失われていく...
最初にエゴが壊され、そしてついには生きるために必要な本能も壊され、
やがて延命装置なしでは生きられない身体になっていく...

...考えただけでも恐ろしい。

しかしこの物語はふと、あるテーマについて考えさせられるのです。


  「愛ってなに?」


感覚、感情という人間の身体へのインプット・アウトプットを失っても
愛というものは存在しうるのか。

...その答えは僕には分からない。この本にも答えはなかったように思う。
でもいろいろ考えさせられた。そこから得るものがあった。
それは確か。

僕は「純愛」という言葉が嫌い。
「愛さえあれば」「愛こそすべて」という言葉が大嫌い。

もちろん愛は人間が生きていくうえで必要な「核」となるものです。
これなしに細胞が存在し得ないように、愛なしで人間は存在し得ない。
しかし核だけでも細胞は存在しないように愛もただそれだけではだめなのです。
核の周りに細胞膜やミトコンドリアがあるように、
愛の周りにも欲や本能などのエゴがとりまいている。
愛はエゴと一体ではじめて人間を構成する。

愛が深ければいいというものじゃない。
どんなに愛が深くても、エゴが腐っていればいい人間関係は築けない。
愛が深ければ深いほど、エゴもそのぶん意識しなければならないと思う。

エゴが薄い人はたぶん愛も薄い。
言い方が悪いように聞こえますが、愛とエゴのバランスが取れてさえ
いれば僕はそれはそれで幸せなんじゃないか、と思う。
つまり愛の深さが大事なんじゃなく、愛とエゴの「バランス」が大事なのだと思う。

愛やエゴが大きければそのぶんバランスをとるのは難しくなる。
でもバランスが取れたときの「幸せ」はより大きなものになるよね、きっと。

僕は愛が深い人間なのかどうかはまだ分からない。
でもエゴが深い人間であることは確かなようだ。
だからやはり愛も深いものでなければならないのだろう。


...というようなことを考えさせられた一冊でした。