アルカイックスマイル

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[この仏像はアルカイックスマイルではありません...]


大学の日本美術史の授業で現在アルカイックスマイルを勉強しています。

紀元前6世紀ごろの古代ギリシャの彫像にまずそのスマイルが表れた。
そして紀元後6世紀ごろ、東洋の仏像にそのスマイルが表れた。
その間およそ一千年。
そして西洋と東洋の間のシルクロードの接点、ペルシャからは
アルカイックスマイルの像は出ていない...


ギリシャのアルカイックスマイルと東洋のアルカイックスマイル。
この2つに関係性があったのか。
それは未だに謎だそうです。


ただ言えるのは。
西洋にせよ東洋にせよ、
アルカイックスマイルは心に刻むべき表情として必要なものだったということ。


人の心の実体は有機物である神経細胞が発する電気信号に過ぎない。
そこに絶対的な存在などない。
全ては浮かんでは消えていく幻。

それでも人は心の中に唯一絶対無二で不可侵の存在を見出そうとする。
それが神であり、仏であり、その存在を永遠に残そうと像にする。


その根源にあるものは何なんだろう...

僕は今、人生のうちで一番自由な時間を過ごしている。

好きな時間に起きて、
好きな時間に食事をして、
好きな時間に仕事をして、
好きなことを勉強して、
好きな時間に寝る。

束縛され、自由に憧れていたころ、自由って幸福そのものだと思ってた。


でも実際自由を手にしてみると、それは束縛そのものである気がする。
束縛というテープがなければ、自由というものは影も形もなくなってしまう。
本当の自由世界では「自律」というテープが不可欠になる。

それがわかった今、僕は自由の世界を離れ、
今一度不自由の世界に戻らなければならないのではないだろうか。


自由と束縛。
孤独と和合。

適度にバランスの取れた状態にこそ、幸福はある。

絶対無二で不可侵の真実はそこにある。

アルカイックスマイルはそんな究極の世界を象徴するものなのだ。