「いいわけ」

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テレビでは政治家が、企業家が、芸能人が連日のようにいいわけをしている。
そんな光景を眺めるたびにうんざりさせられる。
いいわけとはかくもうんざりさせられるものらしい。


じゃあお前は全くいいわけをしない人間なのか、といわれると
やはり自信を持って「Yes」といえないわけで。

人はいいわけをしながら生きている。
人はなぜいいわけをするのだろう。

いいわけをするのが気分がいい、という人はいないだろう。
だれだっていいわけをするのは心苦しいし、
いいわけをした後のあのなんともいえない後味の悪さと襲ってくる自己嫌悪。


正直このブログでも時々いいわけめいた文章を書くときがある。
そういう時はこのブログの必要性を感じながらも、いやな気分になってしまう。


思うにいいわけは一種の自己防衛反応で、本能からくるものだと思う。
自分がしてはいけないことをしてしまったとき。
自分がやろうと思ったことが思うようにできなかったとき。
そんなとき自分で自分を守るための行動がいいわけなのです。
精神を安定させるための暗示なのです。
いいわけをする自分をことさら必要以上に責めることはない。


でも。
だからといっていいわけすることに慣れちゃいけない。
いいわけしをして、罪悪感を感じることで次はやるまいと自分を戒められるのだから。
一番コワイのはいいわけすることに麻痺すること。
麻痺してしまうとテレビでいいわけするようなつまらない人間になってしまう。


いいわけをしない強さが欲しい。
いいわけをしなくても自分を守れるタフさが欲しい。


マジメじゃなくたっていいじゃない。
きゅうくつなリズムに耐えられなくなるときがあって、
急に何もかもがむなしくなったり、めんどくさくなったりして、
そんなときは誰だってときにはさぼりたくなる。
だからといってとりかえしのつかなることなんてそうそうあるもんじゃない。
自分のリズムで取り返せばいいのさ。
(...結局今回はこれが一番言いたかったのな)


...なんかいいわけめいてるけどこれはいいわけじゃない。
単なる説明。
...でも単なる「説明」と「いいわけ」のどこが違うのだろう。


よく分かんないけどたぶん言ってて嫌な気分になるのが「いいわけ」で、
ならないのが「説明」なんだろう。
でも単に感覚が鈍くなっていいわけしてても嫌な気分にならなくなる、ってのもダメなんだよな。


あ~めんどくせー世の中だ~
...というよりたぶん僕がめんどくせー男なんでしょう。


...やれやれ。