疑うことは悪だと思ってた。
信じることが善だと思ってた。
疑うことしかできない自分に自己嫌悪していた。
全身全霊で信じることのできる人を羨望のまなざしで見ていた。
しかし信じることで人は救われる一方で、疑うことで人は進歩してきたんだよね。
世の中には多くの真実が存在する一方で、そうじゃないものもたくさんある。
真実を見出すために、人は疑わなければならない。
でも疑うという行為はあまり気持ちのいいものじゃない。
だからどうしても「悪」と決め付けがちだった。
でも気持ちのいいものだけが「善」じゃない。
「信じる」ことが一種の能力なら、「疑う」ことも一種の能力だ。
信じる能力はイマイチだけど疑う能力なら僕はピカイチだ。
「疑う」能力と「信じる」能力。
2つの能力のバランスが大切なんだな。
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