僕は無宗教、無神論者。
それはリアリストだから?
...それだけじゃないな。
目に見えるものですら信じることができないときがある。
神だけじゃなく、人ですら信用できないときがある。
他人だけじゃなく、自分すら信用できないときがある。
そういうとき、たまらなく自己嫌悪に陥ると同時に、
たまらなく虚しく、寂しい気持ちになる。
それが「幸せの裏側」ってやつなんだろうか。
裏があるから表がある。
裏はただ存在するだけじゃなく、ちゃんと存在する理由がある。
足を運べば人はどこにだって行くことができる。
手を動かせば人は何だってすることができる。
自分の世界と外の世界なんて繋がろうと思えばいつでも繋がれる。
それを信じることさえできれば、
自分は幸せになれるんだって感じるのに。
それはそんなに遠くない場所にあるはずなのに。
分かっているのに前に進めないもどかしさ。
新しい場所に行くことの怖さが脚をすくませるのか。
本能と理性の狭間でもがいてもがいて、どうしようもなくなったとき、
人は自分の世界の外に救いを求めるのでしょうか。
僕にはその救いを求めることさえもコワイ。
結局それが自分を無神論、無宗教たらしめてる根源なのだろう。
外にでなきゃ。
自分の外に。
外の世界を知ることで、対極の内なる自分を知る。
知ることで信じることができる。
それが僕にとっての救いなのだろう...
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