父との会話

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正月に父と会ったとき、電話番号を聞かれたので教えた。
でも僕は聞かなかった。向こうも伝えようとはしなかった。


仕事で東京に出張することもあるから、その時は連絡する。
父はそう言った。


...悔しいけど僕はその連絡を心待ちにしている。

お互い口下手、なにより35年間ろくに会話していない二人が
まともな会話が出来るのか、考えただけでも憂鬱になるけれど。


...それでも伝えたい想いがある。

実家は祖父の先妻と後妻とで2つの家系が存在する。
先妻の子供が僕の父親。
先妻がどうなったかは知らない。

後妻には息子と息女の二人の子供がいたけれど、
息女のほうは破傷風で若くして他界。
息子のほうは現在妻と三人の子供がいて、実家の隣に住んでいる。
つまり現在実家は後妻の家系が支えている。
先妻の家系は散り散り。

父には僕との二人子供がいて、
母と離れたとき、父にとっては義母にあたる後妻に
僕たち兄妹を押し付けて家を出た。
物心ついたときすでに母同様父も家にいなかった。

以後僕たちに手紙一つよこすわけでもなく、まったく音沙汰なし。
そのことが自分たちは捨てられた、親から愛されていない、との自覚となり、
ひいては自分の存在価値が見出せなくなる源になった。

妹は学校でのいじめや後妻の厳しい躾に耐え切れず、
16の歳に後妻の元から飛び出し、当時神戸にいた父を頼った。
当時の僕には考えられない選択だった。
後妻の厳しい躾に反発しながらも養育してくれている恩義を感じていたし、
なにより当時は自分たちを捨てた父を心の底から軽蔑していた。

思春期に入って家族の事情が分かりかけると、
僕もなんとなく実家での居心地の悪さを感じはじめた。
父に頼る気は毛頭なかったけれど、早く実家を出たかった。
それで最短コースでそれなりに社会人として自立できる道を選択した。
高専を二十歳で卒業すると東京の大手電機メーカーに就職して上京した。
後妻も家を出ることにさして反対もしなかった。


...それから15年。
ようやく父と会話できる準備ができてきた。
たぶん父もそうなのだろう。

正直父には尊敬の念はもちろん、感謝の念すらない。
自分自身結婚と離婚を経験して、父にもそれなりに事情があったのだろう、
という気持ちから軽蔑の念は捨てることはできた。
しかしだからといって父に対してすぐ慕情が生まれてくるか、
というとそういうものでもない。


「過去をあれこれ言ってもいまさらどうしようもない」


...そう父は言った。

それは正しい。
しかしそれですむ問題でもない。
僕も妹も親に愛されなかったことでどれだけ傷ついたか。
仮に愛していたとしても、その愛は僕らには届かなかった。

だから僕は父や母と話したい。
恨み辛みをぶつけたいわけじゃない。
過去の過ちを責めたいわけじゃない。

心の壁をぶち壊し、心の底から泣けるようになりたい。
そうすれば心の底から笑えるようになるだろう。


そう、ただ幸せになりたいだけ。