感情の攪拌

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[駒沢公園 - ジョギングコース]

【攪拌(かくはん)】かきまわすこと。かきまぜること。


ある状態がどんな状態にあるか説明するために、
人は対極をよく利用する。

 楽しい ⇔ 悲しい
 美しい ⇔ 醜い
 早い ⇔ 遅い
 明るい ⇔ 暗い

などなど。

対極性は物事をとても分かりやすく説明することができる反面、
誤解や衝突、すれ違いを生み出す元にもなる。

ある人にとっては楽しいことでも、ある人にとっては悲しいこともある。
ある人にとっては美しい、と感じても、ある人には醜い、と感じることもある。

対極性はあくまで限定条件下で説明されるものなのです。
それは言い換えると対極にあるものは常に同時混在するもの、と僕は思う。
それは時間が流れるものである以上、世の中に不変のものなどない、
というのと同じくらい自明な世の中の法則だと思う。

しかしこの法則はなかなか人に理解されない、
少なくとも僕自身つい最近まで理解してなかった気がする。

真実は一つしかない。
僕は本気でそう思い込んでいた。

 親が子供を捨てることは悪いこと。
 夫婦が離婚することは悪いこと。
 友情を軽視することは悪いこと。


これらはけして間違ってはいないけど、
しかしそれだけではない、ということもまた真実のはず。


今楽しい、と思っていてもその1分後には悲しくなってしまうこともある。
いや、それどころか
楽しいという感情があると同時に悲しいという感情が存在することもある。
真実は同時に1つだけ存在するものじゃなく、同時にいくつも存在する。
ただそのことを理解することが難しいから人は単純化して1つの真実のみ
見出そうとする。僕にとってそれは本意じゃない。


攪拌されている感情を整理する。
そしてその中に存在する真実を1つでも多く取り出す。

それが僕にとってはブログだったり、デザインだったりするわけで。