学生時代

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思うように眠れない日が続く。

なぜだろう?

人は原因を探るとき、過去の経験を参照します。
と、いうわけで今日はちょっと昔のことでも書いてみます。
あまり面白くないかも知れません。
暇な方、物好きな方はお付き合いください。

僕の学生時代を一言で言うならば、
「無味無臭」...そんな感じだった。

特に辛いことがあったわけでもない、
特にうれしいことがあったわけでもない。
大恋愛をしたわけでもない、夢にあふれていたわけでもない。
僕の十代は青春と呼ぶにはあまりにも味気ないものだった。
だから僕はあまり学生時代を懐かしく語れない。

小学生の頃はひたすら本を読んだ。
コナン・ドイルや江戸川乱歩などの推理小説が好きだった。
中学生はひたすら剣道に打ち込んだ。
何も考える暇がなかった。
高専ではひたすらレポートに追われた。
傍ら剣道やなぎなた、空手にも打ち込んできた。

友達とばかをやったり、女性と付き合うということはなかった。
自分が打ち込んでいるもののためにそんな暇はなかった...
...それは半分は本当だけど半分はいいわけだ。

僕は本当に臆病な人間だった。今でも、だけど。

僕達兄妹は幼い頃に両親に捨てられ、祖父母の元で育った。
祖父は寡黙な人だったが、祖母はとても厳格な人だった。
まだ体罰が有効な教育だと信じられていた頃だったせいか、
祖母にはよくぶたれた。

今にしてみればそれが祖母の愛だということが
身に沁みてよく分かるのだけど子供の時分には
恐怖以外のなにものでもなかった。
祖母の一挙一投足に怯えていた。
祖母は当時喫茶店をやっていて、僕達兄妹が学校が終わると、
その喫茶店の手伝いをさせた。
遊びたい盛りの僕たちは祖母の目を盗んでは手伝いをさぼり、
暗がりで喫茶店の客用の漫画を読んだりした。
そのせいか小学生のときすでに立派な近視で眼鏡をかけた。
また喫茶店が夜の繁華街の中にあることもあって、
大人の世界というものを早くから垣間見ていた。

高専に入ると勉強が忙しくなったのもあって
さすがに喫茶店を手伝うことはなくなった。
体格も大きくなり祖母に対する恐怖が消えてきて、
さらに反抗期に入ったこともあって、
僕はことあるごとに祖母に歯向かった。
けして僕から暴力を振るうことはなかったけど、
説教を食らうごとに言い返した。
親がたしなむもの全てを拒否した。
そのときのなごりか僕は今でもタバコを吸わず酒も飲まない。
あのときほど人に反抗していた時期はなかったように思う。
反抗しながらも僕は親でもない人に育ててもらっているという
負い目をしっかり感じていた。
早く家を出たかったけど飛び出す勇気もなかったし、
中途半端に飛び出すのは祖父母に申し訳ない、
という思いもあった。それで我慢した。
高卒ではろくな就職先もなく、
かといって大学にいって遊びまくる気にもなれず、
短卒だけど就職にはそれなりに有利となる高専を選んだ。
これといって学びたいものがあるわけではなかった。
とにかく早く自立するための近道をしたかった。
そしてできるだけ広島の実家から離れたかった。
それで僕は就職先に東京の会社に選んだ。

妹は弱かった。
学校を卒業するのを待ちきれず家を飛び出した。
以来僕が二十歳のときに一度会ったきり顔をみていない。
そんな妹も今では二児の母親らしい。
一見遠回りをしているように見えた妹が実はずいぶん先に行っていた。
飛び出した当時は祖父母に対する裏切り行為、とずいぶん軽蔑したが
今では幸せに暮らしているならそれでいいと思っている。
彼女もまた無責任な両親の犠牲者だったのだから。

当時は自分をずいぶんと不幸だと思った。
でも今にして振り返ると僕は臆病なだけだった。
祖父母は厳しかったが僕が望めばチャンスはくれた。
僕が望まなかっただけだ。
バイトもしようと思えばできた。友達と遊ぶことだって。
そこから女性と付き合うことだってできたはずだ。
本当に弱かったのは妹ではなく、僕だった。

今では祖父母にはすごく感謝している。
ただ将来自分が父親になったときに子供には
絶対植え付けたくないものがある。
それが「臆病心」と「猜疑心」。
それらはネガティブ・スパイラルを生む元凶になる。
その二つの心が根底にあるがために若いときに経験すべき
貴重な経験を僕は逃してしまった。それが僕は悔しい。
怖さを知ることは大事だし、疑問を持つことも大切なのは知っている。
しかしそれがその人の根本となるのは非常に良くない。
人の根本は「愛」であり、人を信じることであるべきだ。
だから僕は子供をぶつよりもまず抱きしめてやりたい。
「愛」に包まれていることを自覚させながら成長させたい。

祖母は躾にうるさかったが僕達を抱きしめてくれることはなかった。
特に意識してはいなかったのだと思うのだけどやはり無意識に
境界線を引いていたのかもしれない。
おかげで僕はスキンシップが苦手なくせにスキンシップに飢えている。
臆病心と猜疑心を植えつけられた野犬のように。

学生時代そんな僕を支えてくれたのは武道だった。
剣道然り、空手然り、合気道然り。
自分の精神を強化することで自分で自分を支えていた。
そういう意味で僕は強くなれた。

でもそれだけではだめだということを社会人になって
10年以上も過ぎて犯した過ちで知った。
幸運にも過ちを犯したのと同時期に友達の大切さを知ったおかげで
僕はずいぶんと救われた。
どんなに精神力が強くても、結局最後に頼りになるのは「人」だ。
人は一人では生きられない。

そんなわけで僕は今日も勇気を出すことと、
人を信じる試練に立ち向かっている。
眠れない夜が続くのもそんな試練の一つなのだろう。
人と会うのは怖いけど、本当は人にすごく会いたい。
見知らぬ人にはまず警戒心を抱くけど、本当はすごく仲良くしたい。
こんな僕でも仲良くしてくれる人がいるんだ、と信じて。

(2006/02/17 drecomより移動、修正)