グランパ

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最近友人の家族が相次いで亡くなっている。

友人たちの年齢を考えると別に不思議でもないのだけど、
やはり三度ほど続いてしまうと何か不安に駆られてくる。

祖父は今年77になった。
喜寿を迎えたわけだけど。

1年ほど前に肺を侵されてしまい、現在はほとんど寝たきり。
それまで毎日晩酌、タバコもヘビースモーカーで、
よく平気でいられるものだ、と思うくらい元気だった。
しかし結局そのしわよせがもろにきた。

遠方に住んでいるために年に1,2度しか会えないのだけど、
会うたびに祖父の姿が小さくなっていく。
上京してきて10年以上、ただひたすら自分の生活に追われてきて、
親代わりに僕を育ててくれた祖父母のことを省みることがなかった。
そのことを最近よく悔いてしまう。


故郷は遠きにありて思ふもの。

詠み人の気持ちが身にしみる今日この頃。


幼い頃、僕と妹の面倒は主に祖母や叔父、叔母がみてくれていた。

祖父は普段は寡黙で、ほとんど僕たちと話すことがなかった。
だから祖父との会話の記憶はほとんどなく、
今でも祖父との会話はぎこちない。
そのくせ酔ったときにだけ饒舌になって説教をたれる。
それががたまらなく嫌だった。
僕の酒嫌いの一端はここにあるじっさいそうだったのか。

祖父はいわゆる亭主関白で、家事はいっさいしない。
あれだけ口うるさい祖母も、文句を言いながらも祖父を立てる。
祖母が主導権を握りながらも、家は祖父を中心に動いていた。
ほとんど会話がないながらも、子供心に祖父の威厳、というものを感じていた。

昔祖父は警官で、柔道をたしなんでいたという。
警官を退職後はなぜかビール会社に勤務し、
そこをやめた後、不動産紹介業の仕事に就いた。
ものごころがついた僕が覚えているのはその事務所の風景で、
警察官やサラリーマン姿の祖父は知らない。

小学生の頃は放課後、祖父の運転する車に乗って
祖母がやっていた喫茶店へ連れて行かれた。
ヘビースモーカーである祖父の車の中は煙が充満し、
よく頭痛がし、気分が悪くなった。
僕のタバコ嫌いはきっとここに由来している。


祖父はボウリングが趣味で、よく連れて行ってくれた。
そして投げ方をよく教えてくれた。
おかげで球技が苦手な僕も、ボウリングだけはまあまあできた。

また、海釣りが好きで、瀬戸内の新鮮な魚の刺身がよく食卓に登場した。
おかげで魚と言えば新鮮な状態で食べるのが当たり前、という感覚が
染みついて、上京してきてからは東京の魚が生臭さくて食べられなかった。


口うるさい祖母を従え、警察官で柔道家、
寡黙でボウリングが上手い。
上手い魚も食わせてくれる。

なんだかんだ言っても祖父は僕のヒーローだった。
小学生の頃の夢は、「警察官」か「科学者」だったけど、
前者は祖父の影響に寄るところが大きいのだろう。


その英雄だった祖父が今、小さく見える。
ベッドに横たわり、祖母の介護なしには動けない祖父の姿が小さく見える。
それはたまらなくものがなしく、せつない光景だ。


しかし祖母は相変わらず口やかましくいいながらも、
祖父のそばを離れず、相変わらず祖父を立て続ける。
甲斐甲斐しく祖父の世話をする。
そこに夫婦の、家族の真の姿が映る。


...祖父はやっぱり僕のヒーローだ。


(2006/03/03 drecomより移動、修正)
(2009/12/29 加筆修正)
(2010/08/14 加筆修正)