[月山にて]
久々のスキーネタですが。
...実はここ3年以上、雪上には立っていません。
大学で学業に追われる日々です。
1つのことに集中するとそのことしか目に入りません。
上村愛子が猪苗代で開催された世界選手権で二冠を達成。
世界選手権初優勝。
...まだだったんだ、意外。
久々に滑っている姿をテレビで見たけれど、
格段にレベルアップしていてびっくりした。
二位以下を圧倒する強さ。
アグレッシブで速く、それでいて華麗なターン。
すばらしい成長ぶりだった。
かつては僕もモーグルに熱中していた。
...足前のほうは全然だったけど。
[白馬47のモーグルスクールにて]
画像はそれぞれもう10年以上前のもの。
スキーは二十歳で上京してきて、会社のスキー部に入ってから本格的にはじめた。
2年ほどでSAJ2級を取得したあたりから、
モーグルに興味を持つようになった。
SAJ1級を目指すと同時に、
白馬47の角階さんのモーグルスクールへ通うようになった。
当時会社のスキー部には基礎スキーとアルペン競技をやる人だけで、
モーグルをやる人は誰もいなかった。
だからいつも一人で夜行列車に乗って白馬へ出かけた。
夜、新宿から出る中央線「あずさ」に乗る。
松本から大糸線に入り、信濃大町を通過して、早朝神城駅に到着する。
スキー板とスキーバッグの大荷物を抱えて、
駅から10分ほどの常宿へ向かう。
モーグラーが集まる安宿で、見知らぬモーグラーたちと相部屋で泊まる。
宿から白馬五竜ゲレンデまでは歩いて10分程度。
荷物を宿に置いて、すぐに着替えてゲレンデに向かう。
目指す白馬47ゲレンデは五竜ゲレンデの裏側。
北斜面なのであまり日が射さない代わりに雪質がイイ。
ルート3と呼ばれる急なコブ斜面を何度も何度も転けながら滑って足前を磨いた。
当時は白馬47で盛んにモーグルスクール、キャンプが開催されていた。
毎週のように通い、SAJ1級を取得してからは草大会にも出るようになった。
たいした素質もなく、本番にはめっぽう弱いので、
たいした成績は残せず、ほとんど予選敗退だったけど、
当時はとにかくこぶを滑るのが楽しかった。
エアもスプレッドイーグルやコサックなどのシングルがメインで、
ダブルもツイスプくらいしかできなかったけどエア台を踏み切るのが
楽しくてしかたなかった。
白馬47だけでなく、鹿島槍、八方、白馬乗鞍、斑尾、八海山、妙高高原、
ザイラーバレー、月山などあらゆるこぶ山に一人で滑りに行った。
シーズンがはじまる12月初旬から、シーズンが終わる5月のGWまで、
毎週のようにコブを滑った。
柔らかいモーグル板はエアの着地の衝撃で、
1シーズン終わる頃には板が反って使えなくなる。
それで毎年のように板を買い換えていた。
これらのマテリアルに加えて往復の交通費、宿代、
スクールやキャンプ、草大会のエントリー代...
1シーズンに100万はモーグルに費やしてた気がする。
[ローラリーのキャンプにて。彼女の直筆サイン入り。]
エリック・バートンやローラリー・バウイなどの元世界チャンピオンが教える
モーグルキャンプにも参加した。
モーグラーだけでなく、今は亡きマルティン・グガニックなど、
基礎系のコブ克服キャンプにも参加したな。
鹿島槍で見た、グッギーのこぶの滑りは本当にキレイだった。
その後準指導員を目指すことに決めてからはモーグルはしばらく中断、
基礎スキーに集中し、3年かかってようやく準指導員を取得した。
そして指導員として、コブの滑り方を後輩たちに教えるようになった。
その頃、里谷多英や上村愛子などの活躍で
ようやくモーグルが日の目を見るようになり、
会社のスキー部内でもモーグルをやりたい、という人がちらほら出てきた。
そして仲間とこぶを滑るようになってさらにコブを滑るのが楽しくなった。
カービングの楽しさを覚えてからは、
柔らかくて軽く、カーブの浅いモーグル板を使う気にはならず、
重くてトップとテール幅の広い、回転半径の小さいSL用のカービング板でコブを滑った。
スキッディング全盛時代にスキーを覚えた僕としては、
新しい滑りのカービングよりも、スキッディングのほうが得意だったので、
カービング板でもずらしてコブをそれなりに滑ることができた。
懐かしいなあ...
会社を辞める直前あたりから次第に雪上から足が遠のき、
大学に入ってからは節約生活のため、全くスキーができなくなってしまった。
また滑りたいなあ。
けしてスキーに飽きたわけじゃない。
僕は、熱しにくく、冷めにくい。
火がつくまでは時間がかかるけど、
一度火がついたらその火が消えることはほとんどない。
今は他に優先させるべきことのためにやむなく火を弱火にせざるを得ないだけ。
いつの日か、僕はまた雪上に立つ。
そして雪と戯れ、エアを飛ぶ。
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