素直であること

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

big_tree_winter.jpg
[都立大 - 自宅付近の大きな木]


朝から気持ちのいい空。
どこか出かけたいなあ...と思案していると、
ふと合気道の稽古日であることに気づく。

インドアではあるけれどせっかく早起きしたのだから、といそいそと稽古へ。


合気道の上達に必要なもの。
それは「素直であること」。
自分に対して。人に対して。

まあ何事もそうなのでしょうけど。

素直な人は上達が早いです。
教えられることを素直に受け入れられるから。

素直な人は迷うことがないから。
心に迷いがあるとなかなか自分の技が落ちつかない。

「あのときはこうだったのに、今回はこうだった」

...一番指導しにくいタイプです。
それでも頭がコチコチに固まっているのよりはましだけど。
ただ「素直である」ということは、「何も考えていない」ということとは違います。

生まれつき性格が素直な人がいます。
そういう人はえてして誰からも愛され、吸収も早く、
優れた素質をいかんなく発揮できたりします。
「素直である」ということは一種の才能だし、
そういう才能を持っている人を心の底から羨ましく思います。

僕はかなりのひねくれものだから。

でもひねくれものはひねくれものなりに頑張れば伸びるものです。
自分を擁護しているのもあるかもしれないけど、
ひねくれてるほうが一癖二癖も味が出せるようになる。
僕はそう信じます。

曇天を知ることで晴天の空の青さの素晴らしさを知る。

自分の合気道はこれで本当にこれでいいのか。
あの人からあんなふうに指導されたけど、その指導方法は本当に正しいのか。
迷い、戸惑い、疑いつくした上で辿りつく真実でなければ
ひねくれものはその真実を手にすることができない。
ひねくれものが真実に辿りつくためにはかなりの回り道が必要なのです。

でもその真実は強く、一度手にした真実が消えることはない。

今でもよく迷います。
でも四段にもなると、自分への指導の言葉の数も少なく、
結局自分で考えなければなりません。
だからその迷いは先に進むためにはいっそう必要なものなのです。


迷いつくし、疑いつくし、戸惑いつくす。
その上で辿りつく真実を受け入れること。

...それが真に「素直である」ということではないでしょうか。