感覚の共有

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Lifeのほうで「感情の共有」ということを書いてますが、
こちらは「感覚の共有」です。

僕の中では人間への情報の入口を「感覚(sense)」、
情報の出力を「感情(emotion)」というイメージで捉えています。

人間は誰しも自らのエゴの世界から出ることはできない。
それでも人間は感覚と感情それぞれを共有していることを
「感じる」ことのできる生き物だと思う。

Lifeのほうで感情を共有していることを感じることは、
人間が幸せになるために必要なことだと書きましたが、
感覚の共有もやはり同じことだと思う。

同じ風景を見て、同じ音を聞き、同じ匂いをかぎ、同じ味を味わい、
そして同じ肌触りを感じる...
一人でそのことを感じているときより、多くの人と共にしているときのほうが、
大切な人と一緒にいながら感じているときのほうが
なおさら幸せを感じることができるはず。
このことはひとえに感覚の共有によるところだと思うのです。


そのなかでも合気道は触感-肌のぬくもりを通して幸せを感じることの
できる武道だと思うのです。

人と人との親密度はその「距離」に比例すると僕は思う。

親しい人ほど距離が近くなる。
距離が近くなればなるほど感覚の共有がしやすくなる。
物理的に距離が近くなれば、心理的にも距離を縮めやすくなるもの。
そしてその距離において意図的に心の距離を近づけようと双方が
願えばより感覚の共有の効果は大きくなる。

合気道において、感覚を共有するということは、技の中において、
パワー、タイミング、スピードをお互いちょうど良いところに合わせよう
とすることだと僕は思う。

そのためには相手を知らなければならない。
その人の合気道の力量やクセはもちろん、
その人の性格や運動能力までも把握すればよりよい合気道ができる。
そしてお互いが相手のために「いい合気道をしよう」という想いが
重なればさらにいい合気道ができると思う。

相手を知り、相手に合わせるための方法を知る。
そしてそれを自分を知り、自分の良さを伝えつつ行う。
これってまさにコミュニケーションの基本じゃないですか。


コミュニケーションは一生もの。
だから僕は合気道を一生続けるのです。