秋合宿

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千葉県岩井市へ合気道の秋合宿に行ってきました。
天候も良く、
(...といっても屋内で稽古する合気道には天候なんて関係ないですが^^;)
皆一様に日ごろの練習の成果を審査で発揮できていたようです。
僕ももちろん全力で審査を受ける後輩のバックアップをしました。
こうして審査を通じて成長する後輩の姿を眺めるのもなかなか悪くない。
...僕も歳をとった、ということなのでしょうか。

今回はその合宿で初段を受けた後輩の話。
後輩といっても人生的にはかなり先輩です。
生涯武道といわれる合気道にははじめる年齢を選ばず。
40,50歳ではじめる人も少なくありません。

その人は身体は固く、小太りで怪獣ピグミーを思わせる風貌。
若い頃はマラソンや自転車、スキーに、トライアスロンなどさまざまな
スポーツをたしなんできた、と口では豪語していますが、
合気道をはじめた当初はおよそ運動神経はゼロに近い、といっても過言でなく、
なかなか上達しませんでした。そのくせ口だけは達者。
僕は最初彼にいい印象を持てず、苦手なタイプの一人でした。

それでも彼はマイペースで稽古を続けた。
宴会が大好きで、稽古場所から遠くに住んでいるにも関わらず、
稽古後の飲み会は必ずといっていいほど毎回参加する。
仕切るのがやたら好きで、なにかといってはイベントを主催する。
最初はそのガハハ的なマイペースに押されていた周囲も
いつの間にか彼のペースになじんできている。
気づいたら僕も自転車を買いにいくのについてきてもらったりするなど
すっかりなじんでいました。

僕とはリズムがまるで違う。
でも「人が好き」、という点では共通するものがあったのだと思う。
合気道を続けるのに必要なものは高い身体能力とか、運動神経ではなく、
(もちろんそれらはより高みに行くには必要なものだけれど)
まず「人が好き」ということだと思う。
いや、合気道を続けていると人を好きになる、のか。
きっとその両方なんでしょうね。

それでも今回初段を受けるにあたり、誰が見てもまだまだ不安要素が多いのは
誰の目にも明らかでした。
そこで先生の指示で高段位の先輩が一人専属でついて、
ほぼマンツーマンで審査に向けて指導にあたることになりました。
うちの道場ではけっこう異例の処置です。
その先輩によればいくら指導してもなかなか上達でず、
キレかかったこともしばしばだったとか。

しかし彼は頑張った。指導にあたった先輩も投げ出さなかった。
審査のときも技を何回も間違えたけれど、見ていてとてもハラハラしたけれど、
けしてあきらめなかった。投げ出さなかった。
入門した当時は果たしてこの人は上達するんだろうか、
と疑問に思ったほどだったけど今こうしてみるとそれなりに上達している。

人の欠点を見つけてその人を嫌いになることは意外に簡単だ。
でも逆に人の長所を見つけてその人を好きになることは意外に難しい。
人を好きになることは一種の才能だと僕は思う。
人を疎外するばかりでは何も生まれてはこないけれど、
人を受け入れて、人を好きになって何かを一緒にすれば何かしら生まれてくる。
それはそのときは気づかなくてもいずれかけがえのないものになったりする。

合気道はそれを教えてくれる。
だから僕は合気道を続ける。
すべての人を好きになるために。
すべての人を好きになれたとき、そこにはどんな世界が待っているのだろう。
...きっと至福の世界なんだろうな。