Richard Avedon【リチャード・アヴェドン】

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写真なんて誰が撮っても同じだ。
写真のクオリティはカメラで決まる。

...かつてそう思っていました。


しかしその考え方は間違っていた。

大学で「写真表現史」の授業を受けていてそう感じるようになりました。



元々写真を撮るのも撮られるのも苦手だった。
とくに人を撮るのがとくに苦手。

ブログをやるようになってたくさん写真を撮るようになったけど、
それも人が写ってない風景がほとんど。

たいした技術もないから、被写体に断って撮る勇気はもちろんないし、
黙って撮影することは人のプライバシーに土足に踏み込む気がしてためらう。

ただ、それだけではない気もする。
人を撮る、ということは撮る人と撮られる人とのコミュニケーションなのかもしれない。
写真を撮るのが苦手、ということはすなわちコミュニケーションが苦手、ということ。
それもあるかもしれない。


授業でリチャード・アヴェドンのドキュメンタリー映画、
「Darkness & Light (闇と光)」を見ました。

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1923年ニューヨーク生まれ。
リチャード・アヴェドンはファッションカメラマンとしてその名を馳せました。
つまり撮る対象は「人」です。
自分とは真逆の位置にいる。

美しいけれど現実感のない、感情のないいわゆるファッション写真、
というものがどうも好きじゃなかった。
そこに写るモデルたちはマネキンとなんら変わりないように思えた。

だけど彼の写真は違う。
そこにはモデルの感情が表れていて、生き生きとしてた。
そこにはカメラマンとモデルの間に良いコミュニケーションがあった。

アヴェドンは自分の写真はカメラマンである自分に主導権がある、
と自らが語っていた。
モデルの意志も、もちろん反映されているのだけれど、
どのポーズのどのネガを使うか、
その最終決定はカメラマンであるAvedonが決める。

カメラマンとしての力量あればこそ、の自信なのでしょうか。



数あるマリリン・モンローの写真とはなにかが違う。

憂いを帯びたその表情に女優の本音がにじみ出ている気がする。


ナスターシャ・キンスキーとスネーク。
こちらはキンスキーが無表情であることで逆に
彼女の耳にキスするスネークの感情が生き生きとしてくる気がする。


鏡に映るヘプバーン。
独特の構図。


よく見るデビッド・ボウイとはやはりどこか違って見える。


よく知らないけどウォーホルってこんな人だったっけ?


道具は使う人によってその能力の引き出され方が違ってくる。
またそれが道具が持つ能力ともいえる。
優れた人が使えば素晴らしい成果が得られる。
カメラはこのような優れた道具なのです。

優れた道具が優れた人に使われることによって生まれた写真も、
やはり優れた人の「見る目」によってさらに良い写真となる。
だから見る方も見る目を養わなければならない。


優れた道具を創りだす人がいて、
優れた道具を使いこなす人がいて、
優れら道具により生み出されたものを正しく評価できる人がいる。


この世は三人の賢者によってより美しくなる。