東山魁夷'魂の遍歴'~すみ夫人が見た素顔の巨匠~

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[道(1950年)]


東京国立近代美術館での展覧会にあわせて、
テレビ東京で東山魁夷氏の特番が放送されました。

氏の妻であった東山すみさんの視点から語られる氏の素顔。
夢を見る男は夢を託す女と一緒になった。
この一組のつがいが世に多くの傑作を贈りだした。

...ますます氏を好きになり、展覧会に行きたくなりました。


派手なのは「魁夷」という雅号のみ。
積み重ねていく実績によってどんなに名声を高めて行こうとも、
画家の生活は地味で規則正しいものでした。



[花明り(1968年)]


[冬華(1964年)]


自分は人物を描いたり、人物の写真を撮ったりするのが苦手です。
さらには自分の外見を形に残すことにも抵抗を感じます。

その辺が風景画家、東山魁夷氏の作品に惹かれる所以なのかもしれません。
自分が人を撮らず、風景ばかりとるのはなぜなのか。
その答えを氏に求めているのかもしれません。


日本画家とはいえ、浮世絵に代表されるデフォルメされた他の日本画などとは
一線を画し、その絵は西洋画を思わせるほどの緻密性、合理性を感じさせる。
それでいて日本の心を忘れず、控えめながらもしっかりと「和」も表現されている。
自分にはそう見える。

作風は違うかもしれませんが、
氏の作品からはモネやセザンヌの作品と同じものを、
同じ感覚を受ける気がするのです。


10年もの歳月をかけて描かれた唐招提寺の障壁画。


[唐招提寺障壁画『山雲』(1974年)]


人物はおろか、他の生き物すらほとんど描かなかったのに、
一連の作品の全てに白い馬が登場する18点から成る
「白い馬のいる風景」。


[緑響く(1982年)]


[白馬の森(1972年)]


その絵と共に添えられている言葉の一つにこんなものがあります。

「心の奥にある森は誰も窺い知ることはできない」

さらにこの一連の作品の閉めとして添えられている言葉。

「再び春は巡ろうとしている。再びあなたは帰らないだろう。」


氏は言います。

自然を見てますと、私たち人間も自然と根がつながってこの世の中に生かされているのではと思う。そしてその根源から出ている生命の光、あるいは反映が自然の中に現れる、その風景の中に見える。...それを私は描いてきたと思うんです。結局は日本の美とは何かというところへ深く深くできるだけ入っていきたい。


絵に人物が描かれていなくとも、
氏が表現したかったのはやはり「人間の心」ではないでしょうか。
絵は人が描くものであり、写真もやはり人が撮るものです。
舞台に人はいなくともその舞台を見るのはやはり「人」なのです。


[行く秋(1990年)]



[絶筆作品:夕星]


終生弟子を取らず、すみ夫人と共に孤高の人生を歩んだ氏。
その果てに氏が描きたかった「人の心」とはいかなるものだったのか。