ハードとソフト

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新しいバイトがスタートして1週間。
...なんとか乗り切りました。

前職の会社での仕事の内容に近い、ということもあって、
働きはじめてすぐに実務的な仕事をやらせてもらえた。
5日目にはスーツを着て外出、顧客先にて仕事したりもした。

スーツ着て仕事なんて、何年ぶりだろう。
久々にスラックスを履いてみたら、ウエストがきつくて、
あらためてこの3年間の不摂生と運動不足を感じた。


会社員時代。
僕は自分が会社でやっていた仕事に対して、
どうしても「誇り」を持つことができなかった。

自分がやっていることなんて、
会社の外に出てしまえば、なんの役にも立たないと思ってた。
自分が何を積み重ねているのか、認識できずにいた。


会社の外に出てはじめて、
自分が会社で積み重ねてきたものを感じることができた。


...それはそれで嬉しいのだけど。

...大学に入る前のスタート地点に戻った気がして。

またもや混乱してしまいそうな予感。

ハードの設計(電気回路設計)をちょこっとやった。
ソフトの設計(プログラミング)もちょこっとやった。
サーバ構築、運用管理もちょこっとやった。
Webデザインもちょこっとやっている。
建築関係のバイトもちょこっとやった。
都市計画系のバイトもちょこっとやった。

思いこんだら一直線という性格のはずなのだけど、
15年、という長いスパンでふり返ってみると、
結局まんべんなく「浅く広く」という軌跡になっているのはどうしてだろう。

一度決断したらその決断を押し通すほどの頑固さを持っている一方で、
その決断に至るまでの長い迷い、優柔不断さがある。
ある局面における瞬間的な状況においては、決断を下せるのだけど、
長期的な視野における決断はなかなか下せない。
簡単に言ってしまうと、計画性がないのである。

石橋をたたいて渡るような慎重さを持っている一方で、
風吹くままに流されよう、という気まぐれさもある。

だから余計迷う。


ソフトウェアの重要さは認識しているつもりである。
本質の多くは目に見えないのだから。
本当に大切なものは形の奥にある。

しかし、目に見えないものはなかなか理解しにくい。
だから人間は本質を可視化することで本質を理解しようとする。
それが「形」であり、ハードウェアである。

ハードとソフトは表裏一体であり、どちらが大切か、という議論はナンセンスである。
魂を持たないハードや、身体を持たないソフトなんて無意味なのだ。

ただ、どちらを強く認識するか、とか、どちらのサイドからアプローチするか、
といった「関わり方」を考えることが重要なのであって、
その関わり方の差異が職種の差異であったり、個性の差異であったりする。


エンジニアとして過ごした14年もl、
美大で過ごす4年も、
どちらもこれからの僕の未来を形成する大切な部品である。
一見関連のなさそうな部品同士も、よく考えれば、必ず関連性があるものだ。
考えて考えて、形にしていくしかない。

選択すべきはハードかソフトか、ではなく、
エンジニアリングかデザインか、でもなく、
デザインかアートか、でもなく、
建築かプロダクトデザインか、といったことでもない。

二者択一ではなく、多集合の中から必要と思われるものを
ピックアップしていくほうがいいのかもしれない。

それだと、今のところ僕が拾い上げる部品は、

  「形」「構造」「自然」「美」...

といったところだろうか。


とりあえずバイトを頑張ります。
次は1ヶ月を目標に。

試用期間でしっかり仕事ができることを印象づけ、
大学がはじまる前までに仕事に慣れておこう。