僕の「一分」

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今の僕の一番の楽しみは「学ぶこと」。
一人静かに学ぶこと。


高校や予備校から大学に入った「現役」大学生にしてみれば、
バイトをするようになって自由になるお金もでき、
友達とバカ騒ぎしたり、恋人とデートしたり、
大学にいる間は一番「遊ぶ」ことが楽しい時期だといえるでしょう。

それを別段悪いことだと言う気はさらさらない。
若者は青春を謳歌すべきだ。
それは当然のことで、むしろそうあるべきだと思う。

ただ、僕はもう一度青春を謳歌したいがために大学に通ってるんじゃない。


高専では学業に追われ、遊ぶこともままならないまま就職してしまった。
その反動からか、会社員時代は仕事そっちのけでさんざん遊んだ。
遅い青春をこのときばかり、と謳歌した。

「遊び」を知らないで「学び」の楽しさを感じることはできない。
だから今、僕は「学び」の楽しさを感じることができるのだと思う。
今は学校に来ることが一番の楽しみで、
授業をさぼってまで遊びたい、と思うことがない。


...ただ、学べば学ぶほど厭世的になるのはどうしてだろう。

大学の課題には単独課題とグループワークがあるんですが、
僕はどちらかといえば...というより明らかに単独課題のほうが好き。

昔から人と同じことをするのが嫌い。
人に合わせるのが苦手、群れて行動するのが苦手。
なにかに熱中すると周囲が見えなくなる。
たぶん...そういう気性からくるのだと思います。


もちろんそれなりの社会経験を経てきているので、
人は一人では生きられないし、
一人では幸せを感じることもできないこと、
みんなで一つのことを達成することで喜びが倍増することも、
今の社会は集合知の集大成であることも理解している...つもり。

その上で。

たぶん僕はどれだけ大きなことを達成するか、ではなく。
どれだけ自分の手で達成したか、ということにこだわるんだと思う。

「器が小さい」...そう言う人もいるだろう。
でもまあ、それでもかまわない。
自分に嘘をついて生きることほど不幸なことはないし、
そんな自分でも社会に貢献できる方法があると思う。
こんな生き方もありだと、今では納得している。

どんなに小さい器でも、磨きつづければ「玉」になる。


僕は権力に興味がない。
権力は人を醜くする。
僕は流行に興味がない。
流行はいずれ消えてなくなる。
僕は分業化に興味がない。
分業が人を堕落させた。


卒業後は建築構造を学ぶべく、早稲田大学芸術学校に行くことは決めた。
でもその先のことはまだ分からない。
もっと学びたくなって院に進みたいと思うかもしれない。

なぜ孤独を好む人間が、
建築という一人では到底なしえない巨大な構造物に興味を持ったのだろう。
我ながらそこが不思議でならない。


とくに出世したい、と思うわけでもない。
とくに有名になりたい、と思うわけでもない。
贅沢といえば、
自分がやりたいことで最低限楽しく生きていければそれが贅沢だと思うし、
高級ブランドや宝飾品などのいわゆる贅沢品にはとんと興味がない。
物欲も若い頃はそれなりにあったけど、
いまは本質的に良いものが最低限そばにあればいいと思う。
そういうものを他人が作ったものではなく、自分で作ってそろえたい。


学ぶか働くか。
学ぶなら都会で、働くなら田舎で、と漠然と思う。

インターネットが普及したとはいえ、
情報量はやはり圧倒的に都会に多いので学ぶならやはり都会が良いと思う。

働くなら、静かな田舎で自分のできることを自分のペースでやっていきたい。
多くを望まなければ、そんなに無理なことでもないと思うんだけどな。

具体的に何をして働くかは今は見当もつかないけど、
ただ思うのは「なにかをひたむきに作っていたい」ということ。


ふと。

木彫りの仏を彫ってみたくなりました。

とくに宗教心に芽生えたわけじゃない。
自分の「一分」を形にしたいだけ。