Emotional Sense

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[上野、東京都美術館前の鏡面仕上げの球]


大学の同級生で「他人の考えていることに興味がない」と公言している人がいます。

僕もどちらかというと、自分に大いに興味がある人間で、
他人がしていることよりも自分がなにを求道しているかのほうが気になる。

それでも僕は「他人の考えていることに興味がない」と公言はしたくない。
もっと他人に興味を持てるようになりたい、と思う。
それはデザインに必要不可欠な要素だと思うから。

関連して、「デザインするのにマーケティングは必要なのか?」
とその同級生は疑問視します。
時代の一歩先を読まなければならないデザイナーは
「今」しか知らない人々の意見を聞いても仕方がない、と。

確かに同じようなことを先日のトークイベントで深澤直人氏も言ってた気がします。
レイモンド・ローウィもその著書「口紅から機関車まで」で言ってた気がする。

しかし。
やはり僕はデザインをするのにマーケティングは必要だと思う。
いや、デザインだけじゃない。
社会に対して何か行為を行うときは必ずマーケティングは必須な行為だと思う。

人間は一生自分のエゴの世界から抜け出ることはできない。

「他」を意識することがなければ、エゴを意識することもないはず。
自分以外のものを意識することによって自分を意識し、自分を知ることができる。
対極を知ることでお互いを知る。
これがデザインの原点だと思う。

もしこの世界が赤一色だったら、
僕らは「赤」という色が見えていてもそれを意識することはないだろう。
様々な色が存在するから「赤」という色を意識できる。


「自分以外のもの」を知ろうとする行為。
それが広義で言う「マーケティング」だと思うのです。
そういう意味では学ぶという行為そのものがマーケティングだとも言える。
現在を知ることで、現在にはない未来を予想することができる。

「自分以外のもの」を情報として蓄える。
それが「知識」というもの。
知識を蓄えることで自分を知り、エゴとその外の世界と交わり方を知る。
それが「コミュニケーション」というものだと思う。


じゃあデザインをするには知識があればいいのか、
というとそれだけでは十分じゃない。

知識はあるだけでは何の役にも立たない。
インターネットそのものは膨大なデータの集合でしかないように。
そのデータを必要なときに検索して、選択して、判断する。
それが「知覚」というものだと思う。
結局のところ、知覚のプロセスが重要なのだと思う。
そして最も難しいのがエゴとエゴの知覚のプロセスではないかと思う。
お互い外に出ることができないもの同士の知覚。
お互い外に出ることができない以上、お互いを「推察」するしかない。
できるだけ正確に、というよりは、お互いに「心地よさ」を与え合うような、
そんな知覚のコミュニケーションが理想のコミュニケーションで、
それこそがデザインに求められるものじゃないのか。


心地よいエゴとエゴとの知覚のプロセス。それは感情の交歓。
どれだけお互いの感情を理解し、自分の感情を伝えられるか。

僕は合気道を15年近くやっています。
(最近は学業優先でさぼりがちですが^^;)
自分が好きなものを共通化しようとする心理も働いてるかもしれないけど
デザインと合気道はよく似ていると思うのです。

合気道は試合がなく、相手を負かしたりするのが目的ではありません。
二人一組で演武をすることで「心地よいコミュニケーション」を目指すもの。
武道ではそれを「和合」といいますが、デザインにも同じ和合の精神を
見出しているのだと思う。


知識よりも知覚。もちろん知識も大事。
しかしそれ以上に知覚を鋭敏にしておくことが大切だと思う。

Emotional Sense
今回語ったことを一言で表すキーワードが今回のタイトルで、
僕が大切にしたいと思うものの総称かな。
そしてその中でも一番大切にしたいsenseが「触覚」で、
デザインしたいものが「思わず触れたくなるもの(touchable)」なのです。


...なんかこの1年を総括する記事になっちゃいました。
でもまあ以上が僕がこの1年で学び得たものなのかな。


...少しは成長しているのだろうか。