邦題「華麗なるギャツビー」で有名なアメリカ文学。
サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んだ時も思ったのだけど、
どうもアメリカ文学というものは僕にはあまりピンとこない。
村上春樹曰く「これまで巡り会った最も重要な本」だそうですが...
こういう時、文化は言語によって大きく左右される、と感じます。
英語をただ直訳するだけでは、作者の表現を十分に感じ取るのは難しい。
そこに訳者としてのスキルがあるのかな、と思うのですが、
本作の他の訳を読んだことはないし、
村上春樹の訳も「ライ麦畑でつかまえて」しか読んでいないので、
客観的に彼の翻訳を判断することは難しいとは思いつつ、
結局現状では「ピンとこない」としか言えない。
「オールドスポート」というギャツビーの口癖はなかなかオシャレだとは思うけど。
いつかこの名作の良さが分かる日が来るのだろうか...
物語はある貧しい若者が、幸運を機に名士へとかけあがり、
名士の娘と恋をするが結ばれず、悲しい最期を遂げる、といういたってシンプルな物語。
しかしその物語を彩る文章表現が僕にはどうにも難解だった。
村上春樹がいう「美しい」文章を美しいと思えない。
難解な英語原文を和訳するときに生ずる微妙なニュアンスのずれ、
僕がアメリカ文化を知らない故の微妙なニュアンスの把握の難しさ、
そしてなにより(僕が)人生を知らなさ過ぎることによる、
文章の微妙なニュアンスの把握の難しさ。
まあ、それでも気になったいくつかの部分。
死者への弔いは残された生者のためにある。
死者への一番良い弔いはただ静かに心のなかで祈ることのみ。
この辺がアメリカン・ユーモアというものなのだろうか。
この本は自分の未熟さを痛感させられる。
10年後、20年後にもう一度この本を読んでみたい。
たぶんそのときには大いなる感動をもって
心ゆくまでこの本を楽しめるのではないだろうか。