グレート・ギャツビー【スコット・フィッツジェラルド、村上春樹訳】

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邦題「華麗なるギャツビー」で有名なアメリカ文学。
サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んだ時も思ったのだけど、
どうもアメリカ文学というものは僕にはあまりピンとこない。
村上春樹曰く「これまで巡り会った最も重要な本」だそうですが...

こういう時、文化は言語によって大きく左右される、と感じます。
英語をただ直訳するだけでは、作者の表現を十分に感じ取るのは難しい。
そこに訳者としてのスキルがあるのかな、と思うのですが、
本作の他の訳を読んだことはないし、
村上春樹の訳も「ライ麦畑でつかまえて」しか読んでいないので、
客観的に彼の翻訳を判断することは難しいとは思いつつ、
結局現状では「ピンとこない」としか言えない。

「オールドスポート」というギャツビーの口癖はなかなかオシャレだとは思うけど。

いつかこの名作の良さが分かる日が来るのだろうか...


物語はある貧しい若者が、幸運を機に名士へとかけあがり、
名士の娘と恋をするが結ばれず、悲しい最期を遂げる、といういたってシンプルな物語。

しかしその物語を彩る文章表現が僕にはどうにも難解だった。
村上春樹がいう「美しい」文章を美しいと思えない。

難解な英語原文を和訳するときに生ずる微妙なニュアンスのずれ、
僕がアメリカ文化を知らない故の微妙なニュアンスの把握の難しさ、
そしてなにより(僕が)人生を知らなさ過ぎることによる、
文章の微妙なニュアンスの把握の難しさ。


まあ、それでも気になったいくつかの部分。

「友情とは相手が生きているあいだに発揮するものであって、死んでからじゃ遅いんだということを、お互いに学びましょうや」と彼は意見を述べた。「死んだ人はただそっとしておけというのが、あたしのルールです」(第9章)

死者への弔いは残された生者のためにある。
死者への一番良い弔いはただ静かに心のなかで祈ることのみ。


「不注意な運転をする人が安全なのは、もう一人の不注意なドライバーと出会うまでだって。それでどうやら私はもう一人の下手なドライバーに出くわしたみたいね。そう思わない?こんな的はずれな思いこみをするなんて、不注意だったわ。私はね、あなたは正直で曲がったところのない人だと見ていた。そしてあなたもそのことを密かに誇りにしていると思っていた」「僕は三十歳になった」と僕は言った。「自分に嘘をついてそれを名誉と考えるには五歳ばかり歳を取りすぎている」彼女はなにも言わなかった。怒りを感じながら、半ば彼女に気持ちを惹かれながら、そして何より心から気の毒に思いながら、僕はその場をあとにした。(第9章)

この辺がアメリカン・ユーモアというものなのだろうか。


この本は自分の未熟さを痛感させられる。

10年後、20年後にもう一度この本を読んでみたい。
たぶんそのときには大いなる感動をもって
心ゆくまでこの本を楽しめるのではないだろうか。