[メトロポリタン美術館]
フジテレビの「優しい人なら解けるクイズ」で。
とある幼稚園で園児が(紙の)剣を作っていました。
できあがった剣を先生に見せると、
先生は「誰をやっつけるの?」と尋ねました。
すると園児は、
「誰かをやっつけるんじゃない、
誰かを守るために作ったんだよ」
と答えました。
そのVTRをみていたタレント一同、
「やさし〜!!!」
と絶賛の嵐。
一見、心温まるエピソード。
でも。
自分は確かに「優しいな」と思いつつも、一方でちょっと「コワイな」とも感じた。
はたして、それは本当の「やさしさ」なのだろうか。
[メトロポリタン美術館]
このエピソードは戦争の原点をついている。
そして政治家が戦争を正当化する一番の大義でもある。
誰かを守るために剣を持つんだ。
誰かを守るために銃を持つんだ。
誰かを守るために核を持つんだ。
だから僕等は正しいんだ。
でも、本当はみんな知っている。
「ペンは剣よりも強し」
と。
でも、世の中そんなに物分りのいい人ばかりじゃないから、
僕等は武器を持って自衛する必要があるんだ。
いろんな「大人の事情」を知っている大人であれば、
ジレンマの末にそういう結論が出ても仕方がないかもしれない。
ただ、世界を学び始める幼児期に、
「正義を貫くために剣を持つ」
ことを最初に教えるのは本当の正義だろうか。
剣を持つ前にするべき大切なこと、「話し合い」を教えることは難しいだろうか。
誰だって犬死は嫌だ。
大切な人を守るために戦うことは正義だと思いたい。
でも、どんな大義でも、相手がどんな悪人でも、
一度でも人を殺めたら、
殺められた方はもちろん、殺めた方も苦しむことになる。
それをまず教えてあげるべきじゃないのか。
戦争推進派はこういうのを「平和ぼけ」というのだろうか。
ただ、広島で教育を受けた自分はそうは思いたくない。
子どもには平和を教えるより、
戦うことを教えるほうが簡単なのかもしれない。
本能の延長線上にあることだから。
「戦い」が本能の範囲ですむことならばいいのだけど、
欲深い人間は簡単に本能の域を飛び越えて、
際限のない破壊にまで簡単に到達する。
そこが人間の業であり、
平和優先は人類が背負うべき宿命ではないだろうか。