宗教建築の存在意義

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[東京カテドラル地下聖堂側廊の天使像]


創価学会の本部へ行く機会がありました。

僕自身は信者ではありません。
今はまだ、宗教に対しては客観的でいるべき時期だと思う。


宗教もまた、その機能を発揮するには時間が必要だと思う。
キリスト教、仏教、イスラム教...
偉大な宗教は幾多の苦難を乗り越え、
人々の思いを悠久の時を経て積み重ねることでその価値を上げてきた。


かつてエンジニアだった頃、
頭の中を論理的思考で支配されていた頃には
宗教の存在意義が分からなかった。
いや、考えたことさえなかった。


今は宗教建築がとても好きだ。
その空間が持つ、独特の雰囲気。
「信じる」ことによる力を感じさせてくれる場所。

...宗教にはそういう場所が必要だ。

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【信濃町の慶応病院煉瓦館】


たった一度訪れただけでその対象を否定することはしたくない。

ただ、「信じる」力を感じさせる場所としては、
その機能は弱いように感じた。

大学を創設し、会長自身海外の大学から名誉博士号を授与され、
民音音楽博物館など文化事業にも積極的に取り組んでいる。
宗教事業の良い側面を全面的に押し出そうという気迫は感じられる。

しかし根本的な、本質的な部分のアピールが弱い気がした。

信濃町の駅を降りると、その界隈は創価学会関連施設がひしめく。
しかしその多くは中途半端な、現代的なビル群。
その横の慶應病院煉瓦館のほうがよっぽど強烈で、
最初はこちらが創価学会の本部かと思ったほど。

巨大なレンガの壁に空いた巨大な正円の穴。
そのスケールと正確な幾何図形が人間の原始の感覚を刺激する。


何事も形から入ることはあながち悪いことではないと思う。
世の中の大切なことは、本質的なものは目に見えないものが多い。
目に見えないものを目に見えないままに直感的に理解できるほど、
人間は賢くない。

見えないものを視覚化することで、見えない本質を理解する。
そこにものづくりの、建築の、空間の存在意義がある気がする。