Digital Native

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NHKスペシャルで「デジタルネイティブ」という特集を放送していました。

デジタルネイティブとはネット世代における新しい価値観を持った人たち、
もしくは価値観そのものを指す言葉。


放送内容はデジタルネイティブについて否定もせず、
かといってあからさまな肯定をするわけでもなく、
NHKらしくあくまで中立的な姿勢を示していましたが。


正直怖くなった。
今後こういう世代が世界の大半を占めるようになったら。

たぶん人類は後退の一途をたどるだろう。
リアル(地球)を大切にしなくなるから。
...そんな気がしてならない。


今やネットは電気・ガス・水道に続く第4の生活インフラといえるでしょう。
しかし電気・ガス・水道が「世界」でないように、ネットも世界ではない。


ネットに「世界」などない。

もちろん僕にとってもネットはもはやなくてはならない存在になっています。
僕はネットで生活費を稼ぎ出せるレベルではないけれど、
5つのブログを持つ、という点では比較的ネットのヘビーユーザーといえます。
基本的に毎日ネットに接続するし、ネットに接続しない日が続くと不安になったりもする。

...しかし。
それでもやっぱりネットはツールであり、インフラであり、データベースでしかない。
ただあまりにも性能が良すぎる道具だから、みんな魔法のように思ってしまう。

ネットをビジネスやコミュニケーションの「ツール」として使う分には
問題などないと思います。むしろもっともっと活用すべきだと思う。

僕が問題だと思うのは、
ネットを現実とは別のもう一つの「世界」と捉えていること。
そこに危険を感じる。


デジタルネイティブの特徴として以下の3つを挙げていました。

  1.現実とネットを区別しない。

  2.情報は"無料"と考える。

  3.年齢や肩書き、所属を重視しない。


これらは正しく表現しないと誤解を招く気がするのは僕だけでしょうか。

1.は「ネットは現実におけるただのツールである」と言って欲しい。
「ネットでの出会いと、現実での出会いに違いはない」ということではない。
もし後者が真意なのだ、と言うならば、
僕はこんな考え方をどうポジティブに捉えても受け入れられない。

例えるなら、「写真で見る風景」と、「実際の場所に立って眺める風景」。
もちろんネットが前者で、リアルが後者。
どんなにキレイな写真でも、実際の風景を前にすることにはかなわない。

ネットでの出会いは一時的であり、不完全なものです。
不完全なままのコミュニケーションをいくら続けても前進などしない。
ネットでの出会いそのものを否定する気はありません。
それも一つの「縁」なのですから。

しかし最終的にコミュニケーションを完成させるものは今も昔も変わらず
直接会って話すことであり、握手してハグして、相手に触れることなのです。
親が子供に教えるべきはそういうことではないのでしょうか。
金を稼ぐ術より先に教えるべきことがあると思います。

ネットがどんなにたくさんの情報を持っていても、
親の愛情に勝る教育法などないのです。


2.の「情報は"無料"と考える」こともいささか危険ではないでしょうか。
もちろん情報には昔から「口コミ」という無料の情報源があります。
しかし世の中の全ての情報が無料なわけではありません。

社会の中のシステムやインフラを使って構築されたものであれば、
そこには必ず金がかかる。利用者がその金を直接負担していないとしても、
誰かがその金を負担している。
金がかかっている以上その情報には金銭的価値がある。
そういう意識は早い時期から持ってしかるべきだと思います。

そういう意識がないから、携帯電話の利用料に月数万をかけることを
なんとも思わない中学生や高校生が増えるんです。

世の中を便利にすることより情報の正しい価値を伝えることの方が
僕には大事に思えます。


3.も捉えかたによっては危険です。
もちろん現在のヒエラルキー構造には問題もあるでしょう。
縦割り社会で情報が正しく共有できないがゆえに
効率悪い仕事をしているのも事実。

しかしコミュニケーションする相手の属性は気にしない、ということは
「相手に対して興味を示さない」といってるようなもんだと僕には思えるのです。
相手に興味を示さないでどうして良いコミュニケーションがとれるのだろう、と。

相手の属性を「正しく」意識することは、良いコミュニケーションをとっていく上で
今も昔も必要不可欠な要素なのです。


今の社会のままでは小学生が社会に出ると対応できなくなるから
今から話し合って社会構造を変えていこう、なんてバカな話も出ているとか。
全くあきれ果ててしまいます。

正直今の大人がネットを正しく理解できていないだけだと思う。
まずは今の大人たちにネットとはどういうものかを教えるべきではないのか。
子供にきちんと教育できないから子供が暴走するんだ。

結局のところ全ての責任は今を生きる大人たちにある。
すでに手遅れになっている部分が
近年の青少年の犯罪に繋がっているのではないか?
そんな気がしてなりません。

あまりのネットの効果に囚われすぎて大人たちが現実を見失っている。
子供の理解に苦しむ前に、子供を奇異の目で見る前に、
まずは自分が今の時代を正しく理解しているかを
今一度自分の胸に手を当てて考えてはいかがでしょう。


デジタルは所詮アナログの模倣に過ぎないのです。
まずはそのことを忘れるべきではないと思う。