3番目の宝物

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このブログはいわゆ「ネタサイト」ではありません。

もちろんネタサイトとして使ってもらっても全然かまわないのですが、
このブログの一番の目的はやっぱり、

  「Webの楽しさを知ってもらうこと」
  「Webでできることを訴求すること」

なのです。
それを実現するためにネタはもちろん、
そのネタに対する自分の想いも発信したい。
それに対するみんなの意見を聞きたい。
僕がこのブログに求めているものはコミュニケーションであって
一方的な情報発信ではありません。

というわけで今日はちょっとした読み物シリーズです。
とくにネタはありません。

宝物は大切なものだから宝物なわけであって。

だから中途半端な思い入れで接したくない。
合気道も然り、スキーも然り、Webも然り。

僕は一度のめりこむとはまるタイプです。
まさに猪突猛進という表現がぴったりだと自ら思ってしまうほどに。
ちなみに私の干支はイノシシです。

人がなにを言おうと耳を貸さず自分の感ずるままに突き進む。
でも好きになればなるほど、はまればはまるほど現状に満足せず、
飽き足らずに次へ次へと進みたくなるものです。

一方で好きになればなるほど迷いが生じてきます。

 ...自分とその宝物の接し方は本当にこれでいいのか。
 ...もっと別の形があるいんじゃないか?
 ...もっと努力しなきゃいけないんじゃないか?

好きであるがゆえに迷い苦しむ。
人間ってホント変な生き物だと思います。
...というよりオレが変なのか?

合気道でなにがしたいのか、
スキーでなにがしたいのか、
Webでなにがしたいのか、

...結局ここまで整理してくると答えは

  「人が接するものとの和合」

なのかな、と。

そう、僕は「和合」がしたいんだ。
でも人はけして自分の世界から抜け出ることはできない。
他人の世界を、他の動物の世界を、他の自然の世界を共有できると
思うことはエゴ以外のなにものでもない。

でもそこで終わってしまったら本当につまらないと思う。
だから人はないものねだりをする。
けして現実的には存在しない「共有」を追い求める。
そして「共有できている」ことを信じることのできる唯一の動物である。
その信じる行為が「和合」ということなんじゃないかと僕は思う。

エゴのなにが悪い。
エゴのない人間こそつまんねーよ。
時にエゴで人に迷惑をかけることがあってもエゴはやっぱり必要だよ。
エゴがあるから愛があるんだ。

気の知れた友人と話しをすれば心が晴れるし、
好きな人とセックスをすれば最高に気持ちいいし、
合気道をしていて二人の呼吸が合えば最高にハッピーだし、
山でスキーしていて山との呼吸が合えばやっぱり最高にハッピーだし、
WebでブラウザというUIを通してそれを利用している自分や相手が
ハッピーになれればそれはもうゆーことなし。

ただWebはその方法が合気道やスキー以上にある気がする。
なんたって「世界の和合」だからね。世界は広い。

結局気持ちの整理がついたかついてないのか自分でも分かりませんが、
胸にたまっているものを吐き出してみました。
長文でスミマセン。