手紙

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手紙』見てきました。


ここのところ原作先読みで落胆ばかりさせられていたので、
映画公開前に原作は買っていたのだけど読まず、
映画を観てから読むことにしました。

そのせいかどうかはまだ原作読んでないのでなんともいえないけど...


...よかった。泣けた。

今まさに油がのってきている、
山田孝之&玉山鉄二&沢尻エリカの熱演が光った。


場所は「ただ、君を愛してる」と同じ渋谷TOEI。
ただし「ただ、君を愛してる」はTOEI1、「手紙」はTOEI2。
TOEI1は音がかなり悪いなあと思ったのですが、TOEI2のほうは
それほど悪いとも思わなかった。TOEI2はやはり新しいのかな...


自分のために殺人を犯してしまい、服役する兄とその周囲の物語。

犯罪は被害者とその周囲にばかり同情が集まるけれど。
それは当然のことなのだけれど。


犯罪の全てが悪意によるものじゃない。
それで苦しむ加害者とその周囲も被害者と同じく確かに存在する。
犯罪はけして許されるべきことじゃないけれど。

人のもつ「弱さ」も時として人を傷つける。

これから観る、という方はトレーラーだけどーぞ!


もし自分の身近な人が被害者になれば、加害者を許すことはできないだろうし、
身近な人が加害者になってしまえば、加害者をかばいたいと思うだろう。

ただ現時点で僕自身犯罪を犯したことはないし、
身近に犯罪を犯した人もいない。
だからどうしても客観的な感じ方しかできない。


犯罪は許されることじゃない。
でも安易に犯罪者とその家族を避けるのは、彼らの更正のチャンスを潰してしまう。
それが危険を避けようという本能からくるものだとしても、
それを正当化する理由にはならない。
誰かを傷つけている行為に変わりはないのだから。

被害者にしても、その被害が大きければ大きいほど、
加害者を憎む気持ちは大きくなる。それは当然だ。
中には一生消えない傷になることもあるだろう。
でもその傷は加害者を憎むことで消えることはない。
憎むことが生き甲斐になる、という人もいるのかもしれない。
でもそれは本当の幸せなのだろうか。

加害者はいつまで加害者でいなければならないのか。
被害者はいつまで被害者でいなければならないのか。
それは当事者それぞれの「心」次第。
この物語はそう言ってるのだと思います。

劇中の被害者の息子が言った「これでおしまいにしましょう」という一言。
それが、その人の強さが、この事件を終わらせたのだなと思った。


犯罪に限らずどうにもやるせないことは長く生きていれば一つや二つ必ずある。
どうにもやるせないことだとしても、そのことを受け入れる強さ。
それが生きていくうえで必要な「強さ」じゃないだろうか。


これから原作を読んでもう一度感動を噛み締めたいと思います。