孤独を感じるとき、自分の人生について何度もふり返りたくなる。
それは過去への遡行ではなく、未来へ進むための整理である。
明るい未来へ進むために、僕は何度も後をふり返る。
それが今、孤独でいることの理由なのだから。
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ものごころついたときには既に、
僕と妹を生んだ母は僕たちの前から姿を消していた。
父は僕らとつかず離れずの距離にいたけれど、
僕らに手をさしのべることもしなければ、語りかけることもほとんどなかった。
彼がしてくれたことは、血の繋がらない祖母に、
僕と妹の世話を押しつけたことだけだった。
父の意志だったのか、厳格な気性の祖母が父にそうさせたのかは分からない。
ただ子供に対する強い愛情があったなら、
親がなんと言おうと自分の子供を手放したりはしなかったはずだ。
とにかく父は僕と妹の養育を放棄した。
実際、僕らの養育費を父が祖母に払っていたらしいけれど、
僕の眼には「子供を捨てた父親」という像にしか映らなかった。
それがたぶん僕の心を無意識に外に対して閉じさせる。
祖母の厳しい躾がかろうじて、
僕を自我の奥深くにある深遠へ落ちていくのを防いでいた。
父母に捨てられた、というトラウマと祖母の厳格な躾が、
僕の警戒心と臆病心を強くした。
まあ、それでも祖母の厳しい目の元で道を踏み外すことなく、
それなりに平凡な子供時代、思春期を過ごすことができた。
ただ愉快痛快な思い出も、ほろ苦い思い出もない、無味無臭の味気ない青春だった。
それがその後20年もの時を経て、取り戻すことのできない時間を失った喪失感として、
再度学校へ通う、という選択をさせたのかもしれない。
実家にいた20年間、
僕は外界に極力出て行かぬよう自ら殻を張ってその中に閉じこもった。
いわば孵化する前のさなぎだった。
「あんたは自分のことしか考えない」
それが祖母の僕に対する説教時の決まり文句だった。
当時はそんな祖母に対して反発ばかりしていたけれど、
今思えば自ら外界に対して壁を立てていたのだから、
自分しか見えないのは当然といえば当然だ。
思春期になると、とにかく祖父母に反発した。
その反発心と捨てられた自分を養ってくれている、という祖父母への負い目が、
僕のバランスをかろうじて保っていた。
しかし祖母の厳しい躾に加えて、学校でいじめに遭っていた妹は、
耐えきれず、16の時に祖父母の家を飛び出し、神戸の父の元へ奔った。
自分のことしか考えられなかった僕は、
そんな妹の気持ちをくみ取ってやることもできず、
それどころか祖父母への裏切り行為、と蔑み、長い間軽蔑してきた。
当然ここで妹とは父同様以後疎遠となる。
僕が二十歳で上京する直前に神戸で一度会ったきり、
再び二人が再会するのはおよそ15年後の三十代も後半に入ってからになる。
その時は既にお互い結婚に失敗した身であり、妹には二人の子供までいた。
この人生の選択の差異がその後の両親への心情の差となる。
妹が自分を捨てたとはいえ親は親、
悪いのは親子の間を裂いた祖父母だ、という心情でいるのに対し、
僕は自分を捨てた親を許さず、
自分に故郷を与え、社会に送り出してくれた祖父母には感謝の念しかない。
とにかく思春期特有の反発心と祖父母への負い目から、
僕も少しでも早く祖父母の家を出たかった。
それで高専を卒業し、就職を機に上京した。
別に東京への憧れがあったわけじゃなく、少しでも実家から離れたいだけだった。
上京しても僕のさなぎ状態は相変わらずだった。
自ら孤独を選びながらも孤独でいることに寂しさを感じ、愛を求めた。
「求めよ、さすれば与えられん」との教えの通り、30にして良き伴侶に出会った。
しかし相変わらず殻に閉じこもっていた人間にまともな家庭が築けるはずもなく、
3年で結婚生活は破綻した。
この結婚の失敗により、
ようやく自分が殻の中に閉じこもっていることを自覚するようになった。
その殻を破りたい、とようやく思うようになった。
良い友人と出会った。
14年勤めた会社も辞めた。
外界での自分の居場所を見つけるべく、大学に入った。
そして望み通り見つけた。
しかし。
さなぎの殻を抜け出したものの、まだ羽は柔らかく、飛べる状態にない。
いや、既に飛べる状態なのかもしれないが、飛ぶ勇気が無いだけなのか。
このままでは羽は退化し、二度と自分の居場所へは飛んでいけなくなる。
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...これが今の僕の状態。
相変わらず不安は自分の中に巣喰っているけれど、
さなぎの時と異なるのは、その不安をあるべきものとして受け容れていること。
さなぎの時は不安そのものを畏れ、遠ざけていた。
それではものごとは好転しない。
不安は前に進み続けるためのエネルギーだ。
だから僕は翔べる。
過去というしがらみをぬぐい去り、自分の行きたい場所へ翔んでいける。
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