ブログの限界

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

ぶらぶらとネットサーフィンしてて、
ふと、アルファブロガー・アワードのサイトにたどり着きました。

まだやってたんだね...

しかし「アルファブロガー」という言葉は意外と定着していないようだ。
少なくとも僕は2005年以降すっかりこの言葉を忘れてました。
その間ずっとブログは定期的に続けてたんですけどね...

まあ自分の興味がWebデザインからデザイン全体へとシフトしてゆき、
Webへの興味が若干薄れた、というのもあるかもしれません。


今年のアルファブロガーはブログサイトではなく、
特定の記事に対して決定するみたいですね。

ノミネートされてる記事をいくつか読んだのですが...
ブログ記事の質は上がってるように感じました。


全てのエントリーを読んだわけではないですが、
一番心に引っかかった記事がこれ。


  higuchi.com blog:
  Google の中の人への手紙 [日本のストリートビューが気持ち悪いと思うワケ]


...この記事でブログのコミュニケーションツールとしての限界、
というものについて考えさせられました。

Googleがストリートビューサービスをリリースして以来、
賛否両論が飛び交ってネット上を騒がせているようですが。

その善し悪しはともかく、このサービスが社会に与える影響は大きいようです。

ただ、僕自身にとってはあまり興味が無く、「ふーん」程度。

知らない場所に行くときの下調べにちょっと便利だな、と思う反面、
自分の家がネット上で公開されることにちょっと不安を感じる面もある。

ただ、このメリットにしろ、デメリットにしろ、
僕にとってはどちらも「ちょっと」程度のもの。
つまりそれほどこのサービスに対してこだわりも興味も無かった。

今回この記事を読んで、higuchiさんの「気持ち悪い」と思う気持ちも、
それに反発するコメントも「分からなくもない」と思いました。

しかし賛否どちらの意見にしろ、激しく自分の意見を肯定すると同時に
激しく反対意見を否定する様が飛び交う様子は正直コワイと思った。


僕のブログは普段ほとんどコメントもトラバもなく、
いつもは寂しいなあと思うのですが、
自分がもしこんなにたくさんのコメントが来て、賛否両論激論が飛んだら
間違いなくその記事をコメントできないようにしてしまうか、
記事を削除してしまうでしょう。...コワくて。

スマイリー菊地のブログ炎上で「生命の危険を感じた」というのも
あながち大げさでも無いような気がしてきました。


コメントはちゃんと数えてないけど100件以上あると思われます。
ここまでコメントが多いと賛否どちらの意見が多いかを容易に把握できないし、
コメントに対するコメントなども混じってきて、
もはや記事全体としての収拾がつかなくなってきているようにさえ見えます。
多くのコメントに対してhiguchiさん自信によるコメントは見られませんでした。

ブログは静的なメディアにしては質の高いコミュニケーションツールだと
思っていたけど、ここまでくるともはやコミュニケーションは成立しない。
ブロガーはただ自分の意見に対する感想を一方的に読むしか無くなる。
せっかくのコミュニケーション能力も台無しとなる。

ブログの「炎上」がそのブログの限界を示唆しているのかもしれません。
炎上の閾値はブロガー自身が決めるのもので、
本来物理的な距離を気にせず心の距離を縮めることができるものが、
逆に心の距離を遠くしてしまった時点で「炎上」状態となる。
僕はたぶん、その閾値が低いんだな。

感覚を磨くためにやっているブログが、
自分を守るために感覚を鈍くしなければならなくなるようでは
もはやブログをやる意味はなくなる。

せっかくのコメントに反応できなくなったり、無効化せざるを得なくなるのなら、
もはやそれはブログとしての機能を成さず、
通常のWebサイトとなんら変わらないものになってしまう。

...その辺がブログの限界、というものなのでしょうか。


アルファブロガー、人気ブロガーはかなり神経が図太いか、
薄く広いコミュニケーションで満足する人間でなければ務まらないようです。

...僕はゴメンだ。
これまで通りひっそり少ない人たちと深いコミュニケーションしていこ。


ネットの匿名性を笠に着て、顔の見えない相手に対して好き勝手発言する。
そのくせ自分の家がちょっとネットに載ったくらいでそれは許さん、という。

ネット社会と言うけれど、
ネット独自のモラル、なんてものは特にないと僕は思ってます。

リアルでモラルがない人はネットでもモラルがない。
リアルでモラルを知っている人はネチケットもきちんと守れるはず。


ストリートビュー自体は悪でもないし、善でもない。
ただの道具だ。
それはネットにも言えること。

使いにくい、使いやすいはあってもツールそのものがモラルを持つわけじゃない。

その道具を凶器にするも、良い道具にするのも人次第。