
【図録】
本記事作成日:2026/08/23
展覧会訪問日:2023/12/09
アントニ・ガウディ。
建築に興味がある人でなくとも、一度はその名を聞くことがあるだろう。
自分は結局建築を仕事にすることはなかったが、デザインと同じく「思考法」の一つとして、
建築に興味を持つことは人間にとって大いに意味があるという結論に至った。
その中でガウディは装飾と構造、自然と人間のより良い関係のあり方を模索していくために
避けては通れないキーパーソンの一人だと思う。
美大在学中は図書館でガウディに関する本を読み漁ったが、
建築家としてこれ以上ないほどの知名度を誇りながら、
これといったガウディの展覧会には巡り会えなかった。
逆に有名すぎるからやらないのか...ともう半ばあきらめかけた2023年。
ようやくその展覧会はやってきた。
しかも東京国立近代美術館で。
これはもう行くしかない、という感じで出かけてきました。

久々の東京出張。
帰りの飛行機までの時間を利用して、久々のお江戸での美術鑑賞。
東京都美術館でのムンク展に続いて、
三菱一号館美術館で開催中のフィリップス・コレクション展へ。
フィリップス・コレクションは裕福な実業家の家に生まれた
ダンカン・フィリップスが蒐集した美術作品群です。
1918年に法人化し、1921年にこれらのコレクションを展示する場として、
ワシントンDCにフィリップス・メモリアル・アート・ギャラリーを開館しました。
これはMoMAの開館よりも8年も早く、アメリカで最初に開館した近代美術館とされています。
ダンカン・フィリップスは1966年に亡くなりましたが、
その精神はフィリップス・コレクションに受け継がれ、
現在、同コレクション所蔵品数は4,000点以上にもなります。
本展はこの世界有数の近代美術コレクションの中から、
アングル、コロー、ドラクロワ等19世紀の巨匠から、
クールベ、近代絵画の父マネ、印象派のドガ、モネ、印象派以降の絵画を牽引した
セザンヌ、ゴーガン、クレー、ピカソ、ブラックらの秀作75点を展覧するものです。

久々の東京出張。
帰りの飛行機までの時間を利用して、久々のお江戸での美術鑑賞。
...というわけで東京都美術館で開催中のムンク展に行ってきました。
特にムンクが好き、というわけでもなくて、
上ので開催中のフェルメール展、ルーベンス展、六本木で開催中のボナール展など、
場所の成約と好みをいろいろ検討した結果、消去法で残ったのがムンク展と、
三菱一号館美術館のフィリップス・コレクション展でした。
結果的にはこれが大当たり。
「叫び」は世界で最も有名な絵画の一つであり、
故国ノルウェーでは国民的画家として讃えられているエドヴァルド・ムンク。
40代にはすでにその画業は社会的に認められるようになっており、
画家としては成功した部類に入るでしょう。
しかしなぜ、彼の絵はこんなにも悲しみに満ちているのでしょうか。
ノルウェーのクリスチャニア(現オスロ)の北に位置するローテン村で、
軍医だった父クリスチャン・ムンクと母ラウラの間に生まれたムンクは、
結核により母と姉を幼くして失う。
女運も悪く、恋人とのいざこざの末に左手の指の一部を失ってしまう。
幼少時に大切な家族を失うという経験と、恋人との破局により
アルコールに依存するようになり、ついには精神的にも異常をきたすようになる。
この危機を画業の成功でなんとか乗り切るが、
ナチス・ドイツが台頭してくると、頽廃芸術として作品押収され、
戦争を避けるようにひっそりと作品を描き続けるが、
ナチスの爆撃で家の窓が吹き飛ばされ、その寒さにより気管支炎を患い、
生涯独身を貫いた画家は自宅で一人息を引き取った...
画家としては成功したが、彼の人生は決して恵まれたものではなかった。
彼の人生ははたして幸福なものだったのだろうか。
彼自身、自分の人生に悔いは残らなかったのだろうか。

訪問日:2018年4月17日
おおよそ2ヶ月前の話。
東京ステーションギャラリーでの隈研吾展をあとにして、
三菱一号館美術館で開催中のルドン展へ。
ルドンの絵は過去2回のオルセー展(1回目/2回目)などで、
何度か目にする機会がありましたが、単独での大々的な展覧会は今回がはじめて。
時代的には印象派の時代に生きた画家であり、第8回の印象派展にも出品しているものの、
印象派とは一線を画し、独自の路線を歩んだ。
風景画の巨匠に教えを受けるも、
彼が描く絵は風景と人間の内面とが混ざりあった独特の世界だった。
周囲に流されず、自分のアイデンティティを築き上げたという点で
どこか自分の心を刺激する画家の一人。

訪問日:2018年4月17日(火)
おおよそ2ヶ月前の話。
出張で久々に上京しました。
最終日は移動のみで飛行機の時間が夕方だったので、
その待ち時間を利用して、久々のアート巡り。
...といっても2スポットのみだけど。
まずは東京ステーションギャラリーで開催中だった建築家・隈研吾の展示。
9年前に開催されたTOTOギャラリー「間」での展示以来二度目。
9年前でもすでにかなり有名だったとは思うのだけれど、
個展の範疇を超えない小規模だったのに対し、
今回は一流のアーティストとして見応えあるボリュームで楽しむことができました。


半年ぶりの東京2日目。
六本木の国立新美術館で安藤忠雄展を見た後、
日本橋の三井記念美術館で開催中の超絶技巧展を見に行こうと地下鉄での移動中、
人身事故かなんだかで、電車がまさかのストップ。
当面動きそうもなく、このままだと飛行機の時間に間に合わなくなる。
そこでプランB。
上京前に日曜美術館を見て少し気になっていたものの、
時間の都合上あきらめていた菊池寛実記念智美術館へ行くことに。
折しも電車が止まったのが最寄り駅の神谷町。
これはもうこちらの美術館に行きなさい、という神のお導き。
神谷町駅からゆるやかな坂道を上がった先のホテルオークラの向かいに建つ一風変わった建物。
西久保ビルというそうですが、中世に西久保城というお城があったことに由来するそうです。
美術館はこの建物の地下にあるわけですが、
地上に奇抜なビル、地下に美術館というスタイルは山種美術館に似てますね。
しかしこの美術館はスバラシイ。
近年まれに見る大当たりの美術館でした。

[図録]
半年ぶりの東京。
竹橋の国立近代美術館に続いて東京駅構内にある東京ステーションギャラリーへ。
正直企画展よりは、新しくできた美術館そのものが目的でした。
東京駅の復元工事に伴って新しくできた美術館かと思いきや、
開館は1988年、なんと自分が上京する前からあったんですね。
東京駅は毎日通勤で通過していたのに全く知りませんでした。
近くにあるものを意外と知らない。
ものごとってえてしてこんなものですよね。
というわけでシャガールが格別好きだから、というわけではなかったのですが、
美術館の空間はもちろん、展示そのものも期待以上にすごく良かった。
画家として有名なシャガールですが、
重力という常識から開放されたようなその作風からして、
二次元の枠におさまらない雰囲気は十二分にありましたが、
実際こんなにもたくさんの三次元作品を手がけていたことに驚きでした。


半年ぶりの東京。
一番の目的は東京国立近代美術館での企画展「日本の家」展だったのですが、
雨天の割には混雑しているものの、自分的にはいささか期待はずれでがっかり。
一発目からハズレか?...と思いつつ続いてコレクション展へ。
...これがめっちゃ良かった。
企画展での物足りなさを補って余りある一発逆転なのでした。
※本展はすでに終了しています。

半年ぶりの東京。
今回も一泊二日の弾丸ツアー。
まずは竹橋の東京国立近代美術館で開催中の「日本の家」展へ。
地下鉄の地上出口を出ると外はあいにくの雨。
建築系の展示、ということで楽しみにしていたのですが...


アール・ヌーヴォーの展示に続いてアール・デコの館へ。
3年ぶりの東京。
ミュシャ展終了後、同じく国立新美術館で開催中の草間彌生展を
限られた時間の中で少しでも多く懐かしい場所を回りたい、ということで
断腸の思いであきらめて、目黒の東京都庭園美術館へ。
並河靖之の超絶技巧の七宝の数々を見てきました。
自分は格別焼き物に詳しいわけではないし、
並河靖之という七宝家もこの度はじめて知りました。
それでもこの展示を見る気になったのは、
やっぱり東京都庭園美術館という懐かしい場所を訪れたかったから。
在京時代は、お気に入りの空間としてよく訪れました。
愛媛に移住後に新館ができたと聞き、また行きたいなあと思いつつ月日は流れ、
今回の展示が終わった直後から11月までのおよそ半年間、
本館のバリアフリー対応工事でまた全面休館するとのことで、
ミュシャ展と合わせて見ておきたいなあ、と。
「庭園美術館」というくらいなので、庭園が売りの空間なのですが、
一番のおすすめは旧朝香宮邸として建てられた本館。
現在は美術館となっていますが、当時のアール・デコ様式を色濃く残しており、
建物自体が大きな美術作品となっています。

[上野・国立西洋美術館]
2016年7月17日、トルコで開催されていたユネスコの世界遺産委員会で、
日本の国立西洋美術館を含む7カ国17資産で構成されるル・コルビュジエの建築作品が、
世界文化遺産に登録されることが正式に決定しました。
実際は前日の16日に審議されるはずだったのですが、
トルコで突如として起こったクーデター未遂事件で中止、
翌17日に再開され、決定に至りました。
2009年と2011年の過去2回の審議で登録が見送られ、
今回三度目の正直でようやくの登録。
長い道のりだったんだなあ。
東京23区で初、大陸間をまたいだ遺産としても初の登録。
そして国内20件目の世界遺産登録となります。


せっかく東京にきた、ということで。
東京でやっている最先端のデザイン・アート関連の展示を見に行くことに。
まずは東京都現代美術館で開催中の吉岡徳仁の『クリスタライズ』。
実は彼の展示を見るのはこれで四度目。
2006年にAXISギャラリーで開催された『スーパーファイバーレボリューション』、
2008年に21_21DesignSightで開催された『Second Nature』、
単独展ではないけれど、
2010年に森美術館で開催された『ネイチャー・センス』、
そして、本展。
デザインとアートの中間。吉岡の立ち位置はそこにある。デザインは設計できるが、アートは設計できない。デザインは心理学的だが、アートは精神分析的である。デザインの前提は「複製」だ。いっぽうアートの前提は常に「複製への抵抗」である。(本展図録P170、斎藤環「デザインの意志」)
この記述に概ね反論はないけれど、
僕が彼の好きな部分はアーティストとしての側面である。
とくに素材の特性を生かした空間づくり。
そこに感動させられるし、自分もそのような空間づくりをしてみたいと思う。
本展のタイトルのとおり、本展で使われているマテリアルは
ガラスやアクリル、クリスタル、プラスチックといった透明感のあるもの。
自分が現在使おうとしている木とはまったく性質の異なるものではあるけれど、
素材の特性の引き出し方、空間表現への使い方を学ぶ、という点においては、
使われるマテリアルの種類はあまり重要じゃない。
そして、本展のサブタイトルは「人の記憶に眠る自然の姿結実させる」。
ここに、マテリアルの魅力を引き出す秘訣があるのだろうか。



基本的に無宗教です。
...今は。
生まれ育った家は典型的な浄土真宗で、生活の節々にその影響はあったけれど、
自分の中の核に響くことはなかったように思います。
上京してからはなおさら宗教のことなど意識することもなくなった。
時を経て、社会人学生として美大でデザインを学び、建築に興味をもつようになってから、
宗教について、だんだんと興味をもつようになった。
仏教やキリスト教などの歴史的宗教建築を見るのが好きになった。
今回の上京時、滞在したホテルの隣に立派な教会がありました。
高輪にこんなユニークな教会があったなんて。
20年近く過ごしていても、見えなかったものがまだまだたくさんある。
だからまだまだ「魅力」を探し続けなければ。
魅力を知らずして、魅力を作り出すことはできないのだから。


原美術館は大好きな美術館のひとつです。
元々は実業家・原邦造の邸宅として、渡辺仁の設計で1938年に建てられた洋館を、
1979年に美術館に転用されたものです。
いわゆる個性的な建築、というわけではないけれど、
全体として心地よい空間となっている気がします。
どちらかといえば「これでもかっ!」と主張する建築が好きですが、
こういう建築も悪くない。

美術館訪問三番目は原美術館。
(一つ目/二つ目)
先の二つはどちらかといえばネガティブなレポートになってしまいました。
これでは都会の良さを伝えるどころか、都会の批判になってしまう。
都会には魅力が一杯だ。
が、その原石の多くは都会にはなく、周辺から持ち込まれたものである。
都会はパワーの源だ。
多くのエネルギーが集約し、費やされることで、驚異的な数の魅力が創造される。
が、しかし同時に驚異的に不要なゴミも生み出されるのである。
都会は余剰の源でもある。
ゴミと魅力の両方があるおかげで、魅力の見分けがしやすくなる。
多くの魅力と出会うことで、より良い魅力を作りあげることが出来る。
都会とはそういう場所である。
悪くはないけれど、魅力の原石そのものに出会うチャンスは意外と少ない。
...というわけで、三度目の正直。
魅力を作りあげる方法を学ぼう。

今回の上京は、先日の地域力創造セミナー参加で出張が認められましたが、
せっかく上京してきたので、美的センスを磨くために美術館巡りをば、と。
田舎には大自然、という大きな美術館がありますが、
あたりまえだけど、どうしても原始的な作品しか存在しない。
大自然から人間という領域に昇華させた作品の宝庫はやはり都会にあるわけで。
大学生時代、多くの美術館を訪れて、最終的に行きついた先は自然だった。
大自然から隔離して生きるようになった人間は、
自然の美を感じる能力を失ってしまったのだろうか。
そんな不安から、田舎での生活を思い立ったのだけど。
その疑問に対する回答はこれから自らの創作で見出していくしかない。
今回訪れた美術館は三つ。
まずは外苑のワタリウム美術館で開催されている作庭家・重森三玲の展示。
庭は最も分かりやすい「自然を加工した小宇宙」。

「僕たちにとって、自分は一番驚くべき存在なのさ」と彼は言った。「砂粒ほどの信仰があれば、僕たちは山を動かすこともできるのだ...(中略)...この力を認め、信じなさい。そうすれば、その力は自ずと現れる」「そんな風にうまくはいかないわ」「僕の言ってることがわかってないんだね」「わかっているわ。でも私は他の人と同じなの。怖いの。あなたや私のとなりの人にはうまゆくかもしれないけど、私には絶対うまくゆかないわ」「いつか変わるさ。本当はあそこにいる幼子と僕たちはまったく同じなのだとわかり始めた時にね」(パウロ・コエーリョ『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』)
ただいま引越し作業最後の追い込み中。
明日にはネット接続も解除して梱包しちゃいます。
つまり、これが東京での最後の記事。
あと数日で、19年暮らしたこの町ともおさらば。
この週末で友人知人が送別会、壮行会を催してくれ、
自分がいよいよ新しい一歩を踏み出そうとしていることを強く自覚させてくれた。
正直ちょっと興奮している。
希望と不安が入り混じって。
この町で僕の前に現れては消えていった、あまりにも多くのことを思って。
生まれてから最初の二十年、僕は自分を守るために自分の殻の中に閉じこもった。
たぶんものごころがつく前のことだったのだろう。
何から自分を守るためにそうしたのか、記憶にない。
僕の青春は無為だった。
二十歳で学校を卒業して、就職で上京した。
とにかく早く里親の元から離れて自立したかった。
しかし僕が本当に自立しようとしたのは、それからおよそ14年後のことだった。
幼い頃の劇的な外部の変化が、僕に外部へ対する強い警戒心を持たせた。
内部を外部からシャットアウトすることで自分を護った。
ケモノとして生きていくのなら、それは理想的な生き方かもしれない。
しかし人間はそんな生き方では決して幸せになることはできない。
幸せは待ってれば向こうからやってくるものじゃない。
自分で考え、探し、獲得するものだ。
その行為そのものが「幸せ」なのだから。
「大切なもの」は目に見えない。
大切なものと大切なものを繋ぐために、
大切なものを共有するために、
人間は目に見える、触れることのできる「モノ」を創る。

東京・世田谷区の駒沢オリンピック公園。
1964年の東京オリンピックでは第2会場として使われました。
Wikipediaによれば、元々は「東京ゴルフ倶楽部」というゴルフコースで、
オリンピック開催により、都市計画家の高山英華を中心に、
芦原義信、村田政真、横山光男、八十島義之助、秀島乾らが設計を手がけたのだとか。
公園外周を周回するジョギングコースやサイクリングコースが整備されており、
ランナーやサイクリストで賑わう公園であります。
自分は在京時代、スキーのオフトレーニングでインラインスケートをしによく行ってました。
独特な外観の体育館や屋内球技場、陸上競技場、オリンピック記念塔など、
建築的興味もつきない場所です。

昔から泳ぎが苦手だった。
だからプールにはあまり縁がない。
だけど東京辰巳国際水泳場は、
京葉線で新木場付近を通りかかるたびに気になっていた。
ウォーターフロントに浮かぶ奇抜な曲線ラインは、
どこかシドニーオペラハウスを彷彿とさせる。
夢の島で第五福竜丸を見た後、
運河を渡って辰巳エリアへ。
その後、これまた前から見たかったグッドデザイン受賞の
東雲キャナルコートへ。


築地本願寺から勝鬨橋を経由して汐留方面へ。
パナソニックミュージアムの白井晟一展を見ようかな、と。
途中、浜離宮恩賜庭園を通りかかる。
築地、汐留、浜離宮恩賜庭園。
けっこうご近所なんだね。
浜離宮恩賜庭園へは一度門の前まで行ったけれど。
まだ中に入ったことはなかった。
せっかく天気も良いことだし。
一度は歩いておきたい。
...というわけで行ってきました。
入場料300円。