瀬戸内国際芸術祭2016、小豆島編。
去年は坂手地区しか行けなかったので、今回は島を一周したいな、と。
海側がメインだったので、今回はまずは山の中から行きたいな、と。
6:50高松発のフェリーで池田港に上陸、8:01のバスで土庄港へ。
ここで瀬戸内国際芸術祭線に乗り継いで9時前に肥土山地区の入口・常盤橋に到着。
まずはインフォメーションでチケットをパスポートに交換しているうちに
展示開始の9時に。
なかなか良いタイムスケジュールだ。
しかし炎天下でのウォーキングは大変だった〜!
雨に振られるよりは全然いいけど...
待ちに待った瀬戸内国際芸術祭に行ってきました。
チケットは春会期がはじまる前に購入していたのですが、
新しい仕事に就いたこともあり、残念ながら春会期には訪れることはできず、
夏会期になってようやく訪れることができました。
前回は秋会期に二度訪れたのですが、今回は夏会期に1回、秋会期に2回、
いずれも1泊2日の日程で行きたいと考えています。
前回の心残りはなんといっても小豆島。
坂手港エリアしか行けなかった上にあいにくの雨天。
というわけで、今回はまず1日目に小豆島、
2日目は直島に新しくできた二つの建築作品を中心に見て回りました。
それぞれの島の様子は別記事でご紹介するとして、
本記事では本旅の概要をまとめておきたいと思います。
せっかく東京にきた、ということで。
東京でやっている最先端のデザイン・アート関連の展示を見に行くことに。
まずは東京都現代美術館で開催中の吉岡徳仁の『クリスタライズ』。
実は彼の展示を見るのはこれで四度目。
2006年にAXISギャラリーで開催された『スーパーファイバーレボリューション』、
2008年に21_21DesignSightで開催された『Second Nature』、
単独展ではないけれど、
2010年に森美術館で開催された『ネイチャー・センス』、
そして、本展。
デザインとアートの中間。吉岡の立ち位置はそこにある。デザインは設計できるが、アートは設計できない。デザインは心理学的だが、アートは精神分析的である。デザインの前提は「複製」だ。いっぽうアートの前提は常に「複製への抵抗」である。(本展図録P170、斎藤環「デザインの意志」)
この記述に概ね反論はないけれど、
僕が彼の好きな部分はアーティストとしての側面である。
とくに素材の特性を生かした空間づくり。
そこに感動させられるし、自分もそのような空間づくりをしてみたいと思う。
本展のタイトルのとおり、本展で使われているマテリアルは
ガラスやアクリル、クリスタル、プラスチックといった透明感のあるもの。
自分が現在使おうとしている木とはまったく性質の異なるものではあるけれど、
素材の特性の引き出し方、空間表現への使い方を学ぶ、という点においては、
使われるマテリアルの種類はあまり重要じゃない。
そして、本展のサブタイトルは「人の記憶に眠る自然の姿結実させる」。
ここに、マテリアルの魅力を引き出す秘訣があるのだろうか。
女木島・男木島巡りの翌日。
最初は豊島か小豆島に行くつもりだったけど、
あまりに疲れすぎて、急遽直島の大竹伸朗の直島銭湯「I♥湯」へ。
前回行きそびれたし。
世界広しといえど、裸で鑑賞する芸術はここだけだよね。
瀬戸芸の中でも一番メジャーな島、直島。
来島する人も一番多いけれど、
さすがに朝から銭湯に入る人はなく、ほぼ貸切状態。
500円でできる贅沢。
贅沢ってかけた金額じゃあないんだよね。
鬼ヶ島(女木島)を脱出して、男木島へ。
かつては、女木島・男木島二つの島をあわせて雌雄島と呼ばれていたらしい。
男木島のほうが大きいのかと思いきや、女木島のほうが大きいらしい。
女のほうが大きく、恐ろしい鬼がいた、ということは、
ここは女系社会だったのかな。
そんなことを思いながら、男木島に上陸。
いやあ、ここもなかなか面白かった。
瀬戸内国際芸術祭。
先の三日間では回りきれなかった女木島と男木島にどうしても行きたくて。
再度やって来ました。
先の芸術祭鑑賞レビューはこちら。
犬島 / 小豆島 / 直島 / 豊島
今回は一人旅なのでひたすら下道で高松へ。
深夜1時半に出発して、朝6時前に高松に到着。
7時に駐車場が開場、8時の便で女木島へ。
高松から女木島までは船で20分。
女木島って鬼ヶ島だったんですね。
鬼ヶ島って本当にあったんだ。
瀬戸内国際芸術祭2013。
(犬島/小豆島/直島)
最終日は豊島へ。
天気も晴れて絶好の鑑賞日和。
高松港から直島・本村港経由で豊島・家浦港へ。
瀬戸芸での不満は海上交通の煩雑さと便の少なさでしょうか。
あまり便利にし過ぎるとキャパオーバーという問題も出てくるんだろうけど。
まあ、あれこれ行き方をみんなで考えるのもまた旅の楽しさでもあるんだろうけど。
豊島には基本的に3つのエリアがありますが、
今回は時間切れで甲生(こう)地区には行けませんでした。
家浦港周辺と島キッチンのある唐櫃岡(からとおか)集会所周辺と豊島美術館に
行ってきました。
瀬戸内国際芸術祭2013。
初日の小豆島から高松を経由して、念願の直島へ。
なんといってもこの瀬戸芸の元祖。
メジャーになりすぎて今やアートのメッカになりつつあります。
外国人の観光客もこの島はひときわ多い。
しかし、かつて巨大企業に勤めていた身としては思うわけです。
規模が大きくなりすぎると、目が行き届かなくなり、見失ってしまうものも出てくる。
それを看過していると、いずれはとりかえしのつかない衰退に向かってしまう。
...というのは考えすぎだろうか。
ひと言でいえば、人多すぎ、待ち時間多すぎ。
都会で行列をなすのとなんら変りない。
平日でさえこうなのだから、休日はもっとひどい込みようだと思われます。
まあ、もうじき会期を終える時期だからこれが当然の状況なのかもしれないけど。
人が多く来ればそれだけ潤うのかもしれないけど、
それだけ地域は疲弊もしていくのではないでしょうか。
芸術は心に余裕をもって向き合うもの。
直島が芸術の聖地として長らえるには、混雑に対する何らかの対策が必要だと思う。
でなければ商業主義の波にのみこまれていずれは消えていってしまう気がしてなりません。
すばらしい場所だけに心配はつのります。
瀬戸内国際芸術祭2013。
犬島での鑑賞を終える頃、天気は本格的に雨の様相。
とりあえず本日の宿がある小豆島へ。
土庄港でお昼を食べ、オリーブバスで坂手港方面へ。
宿は食事なしだったのだけど、
現地で適当に調達すればいいや、というのがあまかった。
途中、窓外には御輿を担ぐ祭りの集団が。
そう、この日はお祭りだったのです。
これがあとで困ることになる一因となるわけですが、
このときはそんなことになるとはツユほどにも思わず。
まあ、でもそのトラブルが元で、宿の人と仲良くなることができ、
瀬戸芸スタッフの生の声が聞けたわけで。
災い転じて福となす。
旅は道連れ世は情け。
これだから旅はオモシロイ。
念願の瀬戸内国際芸術祭を見に行ってきました。
本当は夏会期に行きたかったのですが、バタバタして行けず。
秋会期も終わりに近付いてようやく行くことができました。
芸術がどのように地域活性化に寄与できるのか。
それが学べる絶好の機会。
二泊三日の日程で行ってきました。
まずは犬島。
ちっぽけな島、と侮るなかれ。
小さな島には魅力がいっぱい詰まってました。
今治のタオル美術館に行ってきました。
今治の特産品である今治タオルをアピールするミュージアム。
けっこうな山奥にあるんですな。
正直あまり期待せずに行ったのですが、思った以上に良かった。
外見は、安易なヨーロピアンスタイル。
デパートのような本館の奥にちょこっと美術館があるのかな、と思いきや、
美術館のボリュームがけっこうスゴイ。
内容もなかなか良かったです。
タオルをここまで芸術的に表現できるんだ、と感心しました。
美術館の中にタオル工場があるのも斬新だった。
やるな、タオル美術館。
2013年8月。
松山の愛媛県美術館で1つの展示がスタートしました。
タマビ出身の愛媛に縁にある人たちによる展示です。
愛媛に来る直前の4年間、社会人学生として通った者として、
自分も出展させてもらうことに。
盆踊りの準備と重なって、なかなか思うように作品作りが進みませんでしたが、
なんとか間に合わせることができました。
芸術は天賦の才を備えた特別な人だけのものではありません。
エゴの中にあるイメージをエゴの外にある人や社会に伝えたい、
共感を得たいと思っている人すべてのためにあります。
そして、その想いはヒト社会をより良いものにしていくためには不可欠なものです。
また、芸術は木の良さを伝えていくために不可欠な要素です。
だからユスモクではその制作活動にアートを意識して取り入れたい、と考えています。
前編
和紙彫塑作家・内海清美氏による「弘法大師空海」の世界。
空海の生涯を全19章で構成、
うち前半9章を西予市・歴史文化博物館で、
後半10章を松山・鷹ノ子地区に新しくできた「たかのこのホテル」内の
2階の「空海ミュージアム」という専用展示スペースで展示されました。
今回は後半10章の展示を見に行きました。
後編
和紙彫塑作家・内海清美氏による「弘法大師空海」の世界。
久しぶりに宇和の歴史文化博物館(歴博)に行ってきました。
和紙の表現というと通常面的、二次元的で紋様としての表現になると思うのですが、
内海さんの表現は彫塑的、三次元的で質感としての表現になっている点が
素晴らしいと感じました。
いやあ、本当に素晴らしい。
愛媛に来て以来、最も感動した展示かもしれない。
この展示が無料で見られるなんて、信じられない。
さらに、撮影OK(ただしフラッシュ撮影はNG!)だなんて、いうことなし。
いやあ、まったくもって素晴らしい。
高知県・桂浜の坂本龍馬記念館に行ってきました。
設計:高橋晶子+高橋寛(ワークステーション)
とくに熱心な龍馬ファンというわけではなく、
去年桂浜に来て、奇抜な外観のこの建物に出会い、
建築好きとしてはおおいに興味をそそられたのですが、
このときは桂浜の浜辺が見たく、結局中には入らずじまいでした。
浜辺のそばにありながら、この記念館は浜辺へのアクセスが悪い。
浜辺に行くには専用の有料駐車場に車を止めさせたいのでしょうが、
結局は浜辺に行きたい人、記念館に行きたい人を分散させて、
経済効果は逆に悪くなる気がするのは僕だけでしょうか。
奇抜な造形は好き嫌い分かれるところだと思います。
また、モダンな造形が幕末の志士の記念館に相応しいか、
という意見もあると思いますが、自分はこの外観、結構好きです。
海に向かって突き出すような長い箱は、外界に繰り出す舟のようだし、
日本の夜明けのために実際に船に乗って奔走した龍馬のイメージと
合ってるように思います。
ただ、いざ中に入ってみると。
正直少しがっかりした。
海に向かって突き出す箱の「長さ」がこの建築の特徴のはずなのに、
内部は細かく空間を区切ってしまってる。
長さが生きてるのは出口のスロープくらい。
これではせっかくの大空間が活きない。
あらためて建築の外観は内部空間とつながるものでなければ、
魅力的にならないことを実感。
大三島の岩田健母と子のミュージアムに行ってきました。
設計:伊東豊雄建築設計事務所。
その名のとおり、母子像の彫刻作品が多く展示されています。
岩田健という彫刻家は今回はじめて知りました。
その作品は一見、彼ならではの作風があるようには見えません。
美術学校で見かけるような模範的な端正さを備えた彫像です。
しかしその作品をじっくり眺めていると、じんわりと魅力が滲み出てくる。
冷たい銅像なのに、人肌の温かさを感じる。
そこが彼の作品の魅力なのでしょうか...
オリジナリティーとは物の起源(オリジン)へ回帰することからはじまる。
だからオリジナル(原型)は初期が持っている単純さへ
戻っていくようなものをいうーアントニ・ガウディ
美大で建築の魅力に出会いました。
最初はサンティアゴ・カラトラバやダニエル・リベスキンドなど
どちらかといえば日本よりも海外の建築家に惹かれました。
また日本でも現在活躍している建築家よりも、丹下健三や村野藤吾などの
少し昔の建築家に惹かれました。
だから現在最前線で活躍している伊東豊雄や安藤忠雄などは
あまり興味が向かなかったわけですが、
せっかく今治という比較的近場に日本で始めての建築家個人のミュージアムが
できたとあればそれはやはり見に行きたいわけで。
愛媛県は今治市、瀬戸内海はしまなみ海道が通る大三島。
アートな島に建つ伊東豊雄建築ミュージアムに行ってきました。
思ったよりも小ぢんまりとしていましたが、
思ったよりも魅力が詰まっていた。
伊東豊雄という建築家が好きになりました。
美術館訪問三番目は原美術館。
(一つ目/二つ目)
先の二つはどちらかといえばネガティブなレポートになってしまいました。
これでは都会の良さを伝えるどころか、都会の批判になってしまう。
都会には魅力が一杯だ。
が、その原石の多くは都会にはなく、周辺から持ち込まれたものである。
都会はパワーの源だ。
多くのエネルギーが集約し、費やされることで、驚異的な数の魅力が創造される。
が、しかし同時に驚異的に不要なゴミも生み出されるのである。
都会は余剰の源でもある。
ゴミと魅力の両方があるおかげで、魅力の見分けがしやすくなる。
多くの魅力と出会うことで、より良い魅力を作りあげることが出来る。
都会とはそういう場所である。
悪くはないけれど、魅力の原石そのものに出会うチャンスは意外と少ない。
...というわけで、三度目の正直。
魅力を作りあげる方法を学ぼう。
[ギュスターヴ=アドルフ・モッサ「彼女」(1905年)]
大塚国際美術館での展示作品。
会場内は撮影可能ということで、気の向くままにお気に入りの作品を撮影しました。
本記事では象徴主義、ナビ派、ウィーン分離派、フォービスム、表現主義、エコール・ド・パリ、
キュビスム、ダダイスム、シュルレアリスムをピックアップ。
絵画の様式は、秩序と無秩序、安定と不安定、静的と動的を繰り返すものだけど、
決して同じことの繰り返しではなく、時代背景や情勢によって、
常に新しい要素を内包させてゆく。
それは樹木が根本から無数に枝分かれしてゆくかが如く。
枝別れたものが行き着く先はどんなものなのか。
それはすべてが混ざり合うカオスなのだろうか。
すでに現代アートというジャンルが一つの様式として括れないところに来ているのか。
はたまた、単に今を生きる自分たちには現代アートを客観的に眺めることができず、
数世紀、数十世紀先の人たちが今のアートやエンタメを眺めて様式化するのだろうか。
...あくまで素人の自分なりの独自の解釈です。
知識不足、勘違い、根拠に欠ける部分も多々あることをご了承ください。
照明がやや暗めで暖色系のため、作品画像はピンぼけ気味でやや赤っぽくなっています。
また、陶板特有の光沢もあります。
さらに傾き補正やレンズ補正をかけているため、
必ずしも作品(本物)の内容や構成を忠実・正確に表すものではないことをあらかじめご了承ください。
「だいたいこんな感じのもの」という感じで見ていただけたらと思います。
[ルーアン大聖堂(クロード・モネ、1893年)]
大塚国際美術館での展示作品。
会場内は撮影可能ということで、気の向くままにお気に入りの作品を撮影しました。
本記事では印象派をピックアップ。
一番好きなジャンルなのだが、大塚国際美術館で見ると一番がっかりするジャンルでもある。
それはそれまでの絵画が極力「タッチ(筆致)」を消すものであったのに対し、
印象派ではタッチを画家の個性、表現として重要視するから。
陶板画はいわば二次元プリントであり、筆致までをも再現することはできず、
平滑なキャンバスになってしまう。
それでは本当の印象派を理解することはできない。
...あくまで素人の自分なりの独自の解釈です。
知識不足、勘違い、根拠に欠ける部分も多々あることをご了承ください。
照明がやや暗めで暖色系のため、作品画像はピンぼけ気味でやや赤っぽくなっています。
また、陶板特有の光沢もあります。
さらに傾き補正やレンズ補正をかけているため、
必ずしも作品(本物)の内容や構成を忠実・正確に表すものではないことをあらかじめご了承ください。
「だいたいこんな感じのもの」という感じで見ていただけたらと思います。