今年最初の美術鑑賞。
愛媛県美術館で開催中のバレル・コレクション展へ行ってきました。
英国スコットランドの海運王ウィリアム・バレルが蒐集した美術コレクション、
「バレル・コレクション」。
バレルはその膨大なコレクションを地元グラスゴー市に寄贈、
閑静な土地にコレクションを展示する美術館が建設され、1983年に開館しました。
コレクションは基本的に門外不出でしたが、
美術館のリニューアル工事に伴い初来日することになり、
本展はそのコレクションの中から73点と同市のケルヴィングローヴ美術館から7点、
計80点を展示するもので、福岡→愛媛→東京→静岡→広島の順で巡回します。
巡回展はなにかと都会の美術館が優先され、
遅れて田舎の美術館へ巡回してくるのが常だから、
めずらしく東京よりも先に愛媛で開催されるのも嬉しい。
広島滞在最終日。
小雨の降りしきるなか、ひろしま美術館に行ってきました。
初訪問。
平和記念公園の北側と広島城の南側に挟まれたひろしま美術館は、
広島銀行が創業100周年を記念して1978年11月3日に開館しました。
設計は与謝野久/日建設計。
訪れた日は開館40周年を記念して、
本館が所蔵するる全館コレクション展示の初日でした。
開館時間に合わせて美術館に向かったのですが、
3,4台しか置けない美術館駐車場はすでに満杯、
やむなく隣の市民病院の有料駐車場に停めて、いざ中へ。
順路に従って作品鑑賞をしていたら、
中央ホールに人がわさわさ集まりはじめていたので、
何事だろうと見ていたら、
気品あるご婦人が話し始め、よくよく聞いていたら、
芸術作家・原田マハさんでした。
その日の夕方から講演会があったみたいですが、
事前申込制だったらしく、聞きに行けず。
それにしても一介の地方銀行にしては豪華すぎる所蔵品の数々にびっくり。
しかも全作品撮影OKだなんて。
見直したぞ、広島銀行。
神戸で兵庫県立美術館、メリケンパークを訪れた後、一路大阪へ。
お目当ては国立国際美術館で開催中のプーシキン美術館展。
プーシキン美術館はロシアの首都モスクワにあるヨーロッパ最大の美術館であり、
収蔵品数は約10万点でエルミタージュ美術館に次いで世界二位。
本展はその膨大なコレクションの中から、フランス風景画に焦点をあてたものになります。
金曜・土曜の午後5時〜9時のナイトタイムで会場内での写真撮影が可能、
ということで夕方5時に現地に到着して夜の美術館を堪能してきました。
[ルーアン大聖堂(クロード・モネ、1893年)]
大塚国際美術館での展示作品。
会場内は撮影可能ということで、気の向くままにお気に入りの作品を撮影しました。
本記事では印象派をピックアップ。
一番好きなジャンルなのだが、大塚国際美術館で見ると一番がっかりするジャンルでもある。
それはそれまでの絵画が極力「タッチ(筆致)」を消すものであったのに対し、
印象派ではタッチを画家の個性、表現として重要視するから。
陶板画はいわば二次元プリントであり、筆致までをも再現することはできず、
平滑なキャンバスになってしまう。
それでは本当の印象派を理解することはできない。
...あくまで素人の自分なりの独自の解釈です。
知識不足、勘違い、根拠に欠ける部分も多々あることをご了承ください。
照明がやや暗めで暖色系のため、作品画像はピンぼけ気味でやや赤っぽくなっています。
また、陶板特有の光沢もあります。
さらに傾き補正やレンズ補正をかけているため、
必ずしも作品(本物)の内容や構成を忠実・正確に表すものではないことをあらかじめご了承ください。
「だいたいこんな感じのもの」という感じで見ていただけたらと思います。
[光輪のある自画像(1889年)](画像は大塚国際美術館の陶板画)
西洋美術史Ⅱの授業も佳境。
ゴッホとくれば、当然次はゴーギャン。
精神が壊れてしまうほどの凄まじい情念で描いたゴッホが断然好きだけど、
スライドで作品を眺めていると、やっぱりゴーギャンも悪くない。
1847年6月7日パリ生まれ。
この年、二月革命が勃発、ジャーナリストだった父クロヴィスは、
革命後の弾圧を恐れて、母アリーヌの親戚を頼ってペルーへ亡命、
幼少期を南米で過ごす。
7歳の時フランスに戻り、6年間神学校で学んだ後、
17歳で船乗りになる。
23歳でベルタンの株式仲買人として働くようになり、
この頃から日曜画家として絵を描きはじめる。
25歳でメットと結婚、5人の子供に恵まれる。
26歳でピサロと出会い、印象派と出会う。
28歳にはサロンに入選。
画業に専心するために株式仲買人を辞める36歳の頃には
夫婦の間には完全な亀裂が生じており、
やがて家族とは離ればなれになる。
物質文明に嫌気がさし、
文明の及ばないブルターニュ地方の田舎町ポンタヴァンで絵を描くようになる。
しかし、小さな田舎町にも文明の波が及ぶようになると、
彼の地でも満足できなくなり、新たな楽園を求めて南国タヒチを訪れる。
2回のタヒチ滞在を経て、やがて彼の遺書と呼ばれる大作、
「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」
を描き上げる。
ゴーギャンの「狡さ」に人間らしさを感じる。
自分のエゴの追求のためには家族を捨てることすら厭わない身勝手さ。
そんな自分の身勝手さを痛いほど自覚しており、苦しむ。
そしてそんな自分の狡さを浄化するために絵を描く。
僕にはそんな風に見える。
そして、彼のそんな絵が好きだ。
親近感を感じる。
...僕の中にも「狡さ」があるから。
[灰色の帽子の自画像(1887年)](出典:Wikipedia)
国立新美術館で開催中のゴッホ展に行ってきました。
卒業制作の最後の追い込み前の景気づけに。
ちょうど西洋美術史の授業でも取り上げられたこともあり。
中村先生の授業の中でも、取り上げられることの多かった画家の一人。
画家として活動したのはたった10年。
27歳という遅いスタートながら独学で、彼独自の画風を確立するも、
生きている間に売れた絵はたったの1枚。
2ヶ月間の共同生活の末の悲劇とともにゴーギャンと並んで
情熱の画家、炎の画家と並び称された天才画家。
...ゴッホの一般的なイメージはこんな感じだろうけど。
彼は決して天才肌ではなかった。
初期の地道な努力の積み重ねが晩年に一気に花開いた。
限りない孤独が彼の感性を極限まで高めてゆき、晩年に一気に爆発した。
そしてそのまま彼は散っていった。
今回の展示は晩年の傑作は少なく、正直もの足らない部分もあった。
正直ゴッホの初期の作品は凡庸でぱっとしないものが多い。
だけど、晩年の見事な作品群に結実するものがここにはある。
晩年が黄色を基調とした鮮やかな色彩なのに比べて初期の作品は驚くほど暗い。
ミレーの影響にはじまり、新進気鋭の印象派、新印象派のテクニックを取り入れ、
浮世絵におけるジャポニズムで色彩に目覚めた。
古今東西の別なく貪欲にチャレンジし、自分のものにしようとした。
ドガがデッサンなら、ゴッホは色彩。
印象派の控えめなタッチから自ら主張するタッチへ。
絵画を目に見える世界から目に見えない世界へと導いた。
それでも彼が生きた時代は彼を認めなかった。
時代が彼に追いつかなかった。
天才の悲しい宿命を背負ったまま、彼は孤独のうちに死んだ。
仲間を持つことは大切だ。
しかし自分の世界を持つことはもっと大切だ。
自分の世界を知らずして生きることほど、人として不幸なことはない。
...ゴッホはそれを教えてくれる。
[エトワール(1876-77)](画像は大塚国際美術館の陶板画)
西洋美術史の印象派の授業でドガを学びました。
モネやルノワールなど代表的な印象派画家はそこそこに、
印象派の中でも異色な存在であるこの画家について、
およそ二週にわたってじっくり解説。
折しもドガ展が横浜美術館で開催中。
日曜美術館でもピックアップされたこともあって、
居ても立ってもいられず、行ってきました。
けっこうな混雑でしたが、ボリューム的にもちょうどよく、
常設展も含めて2時間でじっくり鑑賞できました。
本名イレール=ジュルマン=エドガー・ド・ガス。
貴族の出と見られるのが嫌で、「ド・ガス」を短縮した呼び方で
自らを名乗るようになる。
エコール・デ・ボザールで絵画・彫刻を学ぶ。
アングルからの「線を描きなさい、記憶からも、目に見えるものからも」
という助言により、念入りに構想された膨大なデッサンが生まれる。
目の病により明るい陽光の下で長時間絵を描くことができなかったため、
彼の作品は圧倒的に室内のものが多い。
印象派の多くの画家が光を求めて戸外へと出かけ、
そこにキャンパスを立て、いきなり絵の具を重ねていたのに対し、
彼が印象派の中でも異色の存在であったことが伺えます。
他の印象派画家のように筆触分割も使わなかった。
そんな彼がなぜ、8回のうちの7回も印象派展に出品したのか。
アカデミズムに学び、アングルの助言に忠実に従いながらも、
彼はアカデミズムの枠に収まる器ではなかった。
絵画を単なる「美の器」として捉えるのではなく、
あるがままを伝える、「真実の器」として捉えたかったのではないだろうか。
[ゴッホ『星降る夜』(1888年)](画像は大塚国際美術館の陶板画)
国立新美術館で開催されている、オルセー美術館展に行ってきました。
実は3年前に東京都美術館で開催されたオルセー美術館展にも行きました。
その時は美大に入る直前で、絵に関する知識も感覚も
今に比べるとまったくない状態だった。
今回はその時よりも10倍も絵画鑑賞を楽しめた気がする。
あらためて3年の月日の中で自分が学んだもの、を感じることができた。
別に絵を鑑賞するのに特別な知識なんて必要ない。
だけど、画家がどんな思いでその絵を描いたのか、
どういう時代背景でその絵を描いたのかを知れば、
よりその絵に対する思い入れが強くなる。
そして絵画で何を表現しようとしたのか、自分なりに考えることができるようになる。
感じて、考える。
「より良く」生きるために。
ただ、ボリュームとしては前回の方が大きかったかな。
けっこう混雑した中でもじっくり鑑賞したつもりだったけど、
鑑賞時間はトータルで2時間かからなかった。
いい絵はデジタルデータでもその良さが伝わるものだけど、
いい絵の本物はもっと良い。
絵は基本的に二次元の媒体だけど、
「本物の絵」は微かに三次元であり、その微かな部分に魅力が詰まっている。
[灰色の帽子の自画像(1887年)](出典:Wikipedia)
「文学と芸術」の授業でゴッホを学びました。
これまで中村先生の他の授業でもゴッホは度々登場してきたけれど、
これほどまとめて紹介されたのは今回がはじめてかも。
フィンセント・ヴァン・ゴッホ、1853年生まれ。
最初は伯父の美術商の元で働くが、失恋を機に職を失い、
今度は牧師を目指すも狂信的な熱意が逆に人々に不気味がられ、この職も失う。
その後の1879年に画家を志し、1880年に37歳の若さで亡くなるまでの
およそ11年間で数々の名作が生まれた。
しかしゴッホが存命中に売れた絵画はわずかに一点。
その一点も弟のテオが購入したという。
...と聞きましたが、Wikipediaでは別の人が買ったとありますね。
また売れたのは一枚だけではなく、数枚だったという説もあるとか。
まあ、いずれにせよ、彼が存命中に彼の絵はほとんど評価されていなかった、ということ。
...これも、Wikipediaには晩年には彼の絵を高く評価する人も現れていた、とありますが、
いずれにせよ、彼がその評価の恩恵を授かることはなかった。
時を経て現代、ゴッホの絵は億単位で落札されるという。
...なんとも哀しい話じゃないか。
芸術は貧に足りてこそ、理解できるものだと思う。
成金共にゴッホの想いが、理解できるのだろうか。
芸術を理解する者が芸術界では自由がきかず、
芸術を理解しない者が芸術界を動かす、という不思議な時代。
それでも表現者は自分のエゴを信じ、
自分を見失わずに生きねばならない。
それが「強さ」というものである。
[図録 2200円]
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
ゼミの展示の撤収も終わり、一段落したところで。
久々にアート系の展示を観にいきました。
久々の東京国立近代美術館。
ゴーギャン展。
正直ゴーギャンはそれほど好きではないのですが、
中村先生からタダ券をもらったので。
印象派の絵が一番好き。
エゴと客観とがほどよくバランスがとれている気がして。
印象派以前はいかに模倣するか、いかに客観的であるかに重きを置き、
印象派以後は過度にエゴが露出してゆく。
とくにゴーギャンの時代はポスト印象派(後期印象派とも呼ばれるみたいですが)と
呼ばれ、ゴッホやセザンヌらと共に印象派の持つ客観性を離れ、
より自己の内部へと向かう。
客観的すぎる絵画は退屈だし、
かといって極端なエゴは自分の好みに合えばはまるけど、
そうでなければどん引きしてしまう。
自己と他者のほどよい調和の美しさが印象派の絵にはある気がするのです。
しかし。
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
この人類の永遠のテーマには誰の心にも突き刺さるはず。
もちろん自分にも突き刺さった。
いくら考えても完璧な答えなど出てこないのに。
昨日出た答えは今日にはもう違う答えになっている。
この命題はメビウスの環のごとく、永遠に続く。
[クロード・モネ『ラ・グルヌイエール』(1869年)](出典:Wikipedia)
最近のマイブーム、「僕の好きな絵」シリーズ。
風景画の多い印象派が好きですが、その中でもモネが一番好きです。
そのモネの作品の中で最も好きなのがこれ。
光を追求した印象派。
光は混色すればするほど明るくなる(最終的には白になる)のに対し、
絵の具は混色すればするほど暗くなる(最終的には黒になる)。
そこに気付いた画家は絵の具を混ぜ合わせず、
視覚的に混色させることを思いつく。
キャンパスに思いっきり近づいて絵を眺めると、
そこにはただ絵の具が塗りたくっているだけにしか見えない。
だんだん視点を遠ざけていくと...リアルな絵が現れる。
これがタッチと並んで印象派最大の魅力である「筆触分割」。
そして筆触分割による光の表現が顕著に現れるのが「水」なのです。
[フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』(1889年)](出典:Wikipedia)
ゴッホの中で一番好きな絵。
今は誰もが巨匠と認めるこの画家も生前はたった1枚しか絵が売れなかったという。
(この絵じゃないですが)
その1枚も弟のテオが買ったもの。
(テオじゃない、という説もありますが)
世の中には二種類の人間がいる。
「表現」する人間とそれを「評価」する人間。
...自分は前者でいたい。
たくさんの他人の作品を見るのは最終的に自分の表現に帰結させたいから。
ゼロからはなにも新しいものは生まれない。
だから僕は古を学ぶ。
[クロード・モネ『マヌポルト、エトルタ』1885年 フィラデルフィア美術館]
大学の基礎教育科目で「特講Ⅲ」という授業を選択しています。
講師は「社会と芸術」の中村隆夫先生。
内容はあらゆる世代の絵画の技法とか表現方法を学ぶもの。
その特講Ⅲの前期のレポート課題は、自分で絵画作品2点を選んで
テーマを設定して論じなさい、というもの。
...というわけで最も好きな画家である印象派のモネの絵をピックアップ。
上野の国立博物館で開催中の「対決-巨匠たちの日本美術」展に続いて
国立西洋美術館のコロー展をはしごしました。
こちらはリブ・アーツのプレゼントに当選してチケットをGET。
ようやく念願の日本で唯一のル・コルビジェ建築を訪れることができました。
コローは最近「美の巨人」で紹介されてはじめて知りました。
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー。
森を愛し、森での時間を過ごすために生涯独身を通した孤高の画家。
後の印象派に大きな影響を与えたといいますが、
絵を見て納得。
...彼の絵は光で溢れていた。
[図録 2500円]
ルノワール親子の展示会へ行ってきました。
Bunkamuraザ・ミュージアム。
印象派の巨匠画家ピエール=オーギュスト・ルノワールには
三人の息子がいました。
長男ピエールは俳優、次男ジャンは映画監督、三男クロードは陶芸家という
家族そろっての芸術一家。
本展はその中でも次男ジャンとその父の画家の作品を中心に展示。
映画監督ジャンの作品の随所に父の作品へのオマージュが見られます。
尊敬できる父親がいること。
これぞ男の幸せ。
[日傘の女性](展示では右向きバージョンが展示、画像は大塚国際美術館の陶板画)
国立新美術館で開催中のモネ大回顧展に行ってきました。
さっそく学生特権を使うわけですよ。
通常大人当日券は1,500円ですが、
ここでもらったばかりの学生証を提示すると...
学生料金の1,200円になるはずなのですが...
なんと!
多摩美は特別会員かなんかで団体料金扱いでさらに安くなって、
900円でした~
多摩美入ってほんとうによかった...
んでこれがチケット。
世界で最も愛された画家らしく、平日だというのにけっこうな混雑でした。
まあでも会場が広いぶん、行列になって待つ、ということはないですけど。
東京都美術館で開催中のオルセー美術館展。
会期終了3日前にしてようやく行ってきました。
1週間前にも訪れた上野公園ですが、その時は鮮やかだった桜色も
新緑と混じりあい、すっかり色褪せていました。
1週間前は入口前まで行きながら混雑ぶりにあきらめて帰らざるを
得なかったわけですが、今回は開館後30分の9:30に行ったら
待ちなしで入れました。
それでも会場内はそれなりに人だかりができてましたが。
本展オフィシャルサイトで携帯壁紙をダウンロードして、
チケット売り場にて提示すると大人当日券で100円引きになります。
んでこれがチケット。
会場内は例によって撮影禁止、音声ガイドも500円と有料。
ホント日本って美術に対する理解が足らない...
オルセー美術館はフランスはセーヌ河をはさんでルーヴル美術館の対岸に
位置する美術館で、もともと万博のために作られたオルセー駅舎を
改装したものだそうです。
世界屈指の印象派コレクションを擁する美術館だとか。