タグ「ブラタモリ」が付けられているもの

jodoji2_sanmon2.jpg

jodoji2_dragon.jpg


10年ぶりの尾道。

千光寺公園の駐車場に車を停め、千光寺から天寧寺と下りてきて、
国道沿いに東へどうすること10分。
最後の目的地、浄土寺に到着。


推古天皇24年(616年)聖徳太子開基と伝えられる。
鎌倉時代の終わり頃には荒れ果てていたが、定証上人により復興。
その20年後に焼失するも尾道の邑老道蓮・道性夫妻により堂宇再興の大願を発して再建、
現在に至る。

室町時代には武家・公家双方から手厚い外護を受ける。
特に足利氏による庇護は厚く、足利尊氏が九州に落ち延びる際には、
浄土寺にて戦勝挽回を祈願したところ、その後の戦いで見事に勝利し、
室町幕府の初代征夷大将軍となった。

南北朝時代の戦乱の世へとの移行に伴い再び荒廃するも、
江戸時代では地元豪商の庇護を受けることで支配階級からの保護から一転、
庶民信仰中心の寺院へと変貌した。


約700年も前の建造当初の様子をよく残しているとのことから、
境内の土地と建物(本堂・多宝塔)の両方で国宝の指定を受けています。
これはこの浄土寺と京都の清水寺のみです。


kairakuen_ume_goshobeni.jpg

kairakuen_kobuntei_momiji2.jpg

「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能く楽しむなり」(孟子)

東京でミュシャ展並河靖之展の二つの展示をはしごした後、急ぎ水戸へ移動、
駅周辺のホテルに宿泊した翌朝。

水戸で二つの展示をはしごする前に、偕楽園に行ってきました。
1月にNHKで放送された「ブラタモリ」をみて、行きたいなあと思っていたところに、
急遽決まった上京計画。
これはもう、行くっきゃない、と。

水戸の偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つで、
天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主、徳川斉昭公が、
「領民と偕(とも)に楽しむ」場にしたいと願い創設しました。

斉昭公は陰陽の調和の大切さに重きを置き、
陰陽の調和を図ることを「一張一弛」(弓を張ったり、弛めたりすること)を例にして示し、
勤労と休息の適切さが治世の要点であることを強調しています。
学びの場である弘道館に対する休息の場として偕楽園は創設されました。


倉敷美観地区

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

kurashiki_texture2.jpg


2014年8月、岡山県・倉敷市の美観地区に行ってきました。

この年は地域おこし協力隊が任期終了となり、
木工作家になるために職業訓練校に通った一年でしたが、
地域おこし協力隊時代にはたいした貯蓄もできなかった上に、
基本的に失業保険で生活していかなければならない苦しい時期でした。
そのためにほとんど旅行らしい旅行もできず、
唯一日帰りで訪れたのがこの倉敷の街でした。

一番の目当ては大原美術館でしたが、
江戸時代の雰囲気が色濃く残る伝統的建造物が立ち並ぶ町並みは美しく、
なかなか感慨深いものがありました。

大原美術館については別途レポートすることとして、
ここでは美観地区についてレポートします。


こんぴら参り・金刀比羅宮【香川県琴平町】

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

konpira_omamoriboxes.jpg


♪こんぴら船々
 追手(おいて)に 帆かけて
 シュラシュシュシュ
 廻(まわ)れば四国は
 讃州那珂(なか)の郡(ごおり)
 象頭山こんぴら大権現
 一度廻れば♪
(香川民謡『こんぴらふねふね』)


大晦日にスキーに行って、2時間でリフト20本以上乗って今年の厄を滑り飛ばしていたら、
その疲れで元旦、二日は寝正月。
昼夜逆転生活にもなっていて、このまま正月三が日を寝正月にするのはマズイ。

...と思い立ち、2日の夜が更けてそのまま眠らず3日の早朝に出発。
今年はこんぴらさんに初詣に行くことにしました。
とくにこんぴらさんに強い思い入れがあったわけではないですが、
こんぴらさんのオフィシャルサイトを見てたら、
なんと円山応挙の襖絵を展示している、ということで無性に行きたくなって。

例によって貧乏旅行なので高速道路は使わず、のんびり下道で。
R56で松山まで、松山からはR11でひたすら東へ。
真夜中なので、道はガラ空き。
深夜3時半に出て、朝7時にこんぴらさんに到着。
さすがにこの時刻だと参拝者はほとんどいませんでした。

琴平駅前の町営駐車場に車を停めて、参拝開始。
えらく長い階段を登っていく、ということでとりあえず本宮まで行ければいいか、
と思ってたのですが、寝てないにもかかわらずゆっくりあちこち写真をとりながら
登ってたらそんなに苦もなく登れたので、せっかくなので一番奥の奥社まで行ってきました。
それでまた疲れる、という悪循環ですが...^^;

まあ良いことにせよ悪いことにせよ、人間は同じことを繰り返しながら前に進んでゆく。
それがバイオリズムというものであり、「生きる」ということなんだろうね。


tukijihonganji_window1.jpg

tukijihonganji_facade2.jpg


連休最終日。
2日目までの悪天が嘘のような散策日和。

いてもたってもいられず、久々の散策。
1月は大風邪引いてほとんど家にこもりっきりだったし。
今年初の散策。


古代インド様式の奇抜の外観から前から訪れてみたいと思ってたのだけど、
ブラタモリで築地特集を見てますます行きたくなって。

築地本願寺→勝鬨橋浜離宮→汐留(白井晟一展)と散策してきました〜


まずは築地本願寺。


日本橋-三井本館

nihonbashi_mitsukoshihonten_gate.jpg


ブラタモリ」で日本橋を特集してました。

前半で日本橋と三井本店を紹介していて、それがとても面白かった。


日本の主要街道の起点、日本橋。
高島屋や三越での展示を観にいくときに散策はしているのですが、
日本橋そのものに注目することは少ない。
東京オリンピックの折に大規模な道路整備により日本橋の上に高速道路が架けられ、
影が薄くなってしまっているのが実情。


文化より経済を安易に重視した20世紀の過ちの跡がここに垣間見えます。


以前に散策したときに撮影した写真を元に日本橋と三井本館をふり返ります。

のどかさや 小山つづきに 塔二つ【尾道】

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

onomichi_senkoji2.jpg
[千光寺大師堂]


しまなみ海道広島側の玄関口、尾道。

「坂の街」「文学の街」「映画の街」。
林芙美子、志賀直哉などが居を構えた街であり、
小津安二郎監督の「東京物語」が撮影された街であり、
大林宣彦監督の「尾道三部作」の舞台となった街である。


しまなみ海道を自転車で横断するにあたり、まずはこの街を散策。

しかし、坂の街だけに自転車での移動はなかなか骨が折れるものでした...


【追記】

2017年5月、NHKの「ブラタモリ」で尾道を特集していました。

尾道は3つの山に囲まれた町ですが、
かつては今よりもっと平野部が少なく、海がもっと内陸部まで入り込んでいて、
尾根の際に張り付くように道が走り、人が集まっていました。
それが「尾道」という町の名前の由来です。

千光寺公園を見れば分かるように、尾道の山肌には巨岩がゴロゴロしており、
昔から神聖な場所とされていたことから、
尾道三山の千光寺・西國寺・浄土寺を中心に多くの寺社が建てられました。
また、尾道の近く(現在の世羅町辺り)には大田荘という大きな荘園があり、
尾道はこの大田荘でできる作物を積み出す港町として栄え、
多くの寺社も港町の商人たちによって建てられました。

こうして町が栄え、人が増えるに連れ、海を埋め立てて町を広くしていく一方で、
明治になって聖域と俗域の境目である山の際に鉄道が通ると、更に町は拡大してゆき、
寺社は土地を貸し出し、人々は山肌にも家を建てるようになりました。

そして埋め立てられることで尾道水道は川のように幅が狭くなり、
元々寺社が多かった山肌にも町は広がり、尾道は坂の町となったのです。