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基本的に無宗教です。

...今は。


生まれ育った家は典型的な浄土真宗で、生活の節々にその影響はあったけれど、
自分の中の核に響くことはなかったように思います。

上京してからはなおさら宗教のことなど意識することもなくなった。
時を経て、社会人学生として美大でデザインを学び、建築に興味をもつようになってから、
宗教について、だんだんと興味をもつようになった。
仏教やキリスト教などの歴史的宗教建築を見るのが好きになった。


今回の上京時、滞在したホテルの隣に立派な教会がありました。
高輪にこんなユニークな教会があったなんて。

20年近く過ごしていても、見えなかったものがまだまだたくさんある。
だからまだまだ「魅力」を探し続けなければ。


魅力を知らずして、魅力を作り出すことはできないのだから。


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札幌にきたときに見ておきたかった建築が、
イサム・ノグチのモエレ沼公園のほかにもう一つ。

それがアントニン・レーモンドの札幌聖ミカエル教会。


1960年に完成、北海道に現存する唯一のレーモンド建築。
東京の聖オルバン教会を気に入った教会がレーモンドに依頼、
レーモンドは無償でこの教会を設計したという。

竹中工務店のギャラリー「A4」での展示でこの教会の見事な模型を見て以来、
いつかは訪れたいと思っていたのだけど、こんなにも早く訪れる機会がくるなんて。

...神に感謝。


モエレ沼から車のナビの誘導だったので、
正直地理はよく把握していないけれど。

聖オルバン教会のX字の斜め梁、
聖アンセルモ教会の祭壇に集光する折板状の壁。
ミカエル教会はこの二つの見事な教会の良いところが融合した、
とても素晴らしい建物だった。


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...而してこの聖堂によりて恒に伝へられるべきものは、虚偽に非ずして真実、権力に非ずして正義、憎悪に非ずして慈愛、即ち人類に平和をもたらす神への道たるべし。故にこの聖堂に来り拝するすべての人々は、逝ける犠牲者の永遠の安息と人類相互の恒久の平安とのために祈られんことを。(聖堂記 昭和29年8月6日)


外観編


村野藤吾設計、世界平和記念聖堂。
この教会が故郷広島にあることを心から誇りに思う。

ここを案内してくれたガイドの方が言うには、
広島市内は業者による癒着が少なく、建築家が自由に建てやすい土壌だと。
そのため、魅力的な建築が多い、と。

丹下健三の平和記念公園をはじめ、
村野藤吾の世界平和記念聖堂、黒川記章の広島市現代美術館、
原広司の基町高校、谷口吉生の環境局中工場、山本理顕の西消防署など...
著名な建築家の建物が多くあるようです。


さて、話を世界平和記念聖堂に戻して。

外観編に続いて内観編。


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...而してこの聖堂によりて恒に伝へられるべきものは、虚偽に非ずして真実、権力に非ずして正義、憎悪に非ずして慈愛、即ち人類に平和をもたらす神への道たるべし。故にこの聖堂に来り拝するすべての人々は、逝ける犠牲者の永遠の安息と人類相互の恒久の平安とのために祈られんことを。(聖堂記 昭和29年8月6日)

内観編


広島は世界ではじめて核兵器で爆撃された街である。

広島は戦争の悲惨さを知り、平和の尊さを知る街である。
広島を故郷とする人間はそのことを誇りに思っている。

僕もそんな広島県人の一人である。


広島には世界平和を願うための施設が二つある。

丹下健三が設計した平和記念公園ともう一つが今回紹介する、世界平和記念聖堂。
設計は村野藤吾氏。
完成は平和記念公園とほぼ同時期の1954年。
平和記念公園と同じく、原爆という悲惨な経験を繰り返さぬよう、
世界平和を願って建てられた教会。

...恥ずかしながら、二十歳まで地元にいたときはこの教会の存在を知らなかった。
当時は仏教以外の宗教に触れる機会がまったくなかった。
当時実家が喫茶店を市内で営んでいて、
小中学生の頃はよく通ってたけれど、実はこの教会の近くだった。
灯台下暗し。

建築に興味を持つようになったここ数年でここの存在を知ったわけですが、
村野藤吾氏の建築が大好きで、ずっと訪れたい、と思ってました。
念願かなってようやく。


...思った以上に良かった。
丹下さんの東京カテドラルに勝るとも劣らない魅力を感じた。


信じることは力を生む。
信じる力が集まって宗教が生まれる。
それは絶大な力となる一方で、信じないものたちを排斥しようという力も生まれる。
宗教は諸刃の剣である。

この教会はそんな宗教の垣根さえも越えようとするものだ。
平和はすべての垣根を越える。
そういうものではないだろうか。


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初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(アレルヤ唱 ヨハネによる福音)


大学で西洋の芸術をメインに学んでいることもあって、
今年は、よりキリスト教に関心を持つようになった。

信者ではなく、あくまで学者として。

自分にはまだ疑いの心がある。
疑いを晴らしてゆくには学んでいくしかない。

愛を知るには学んで、感じて、身に染みこませるしかない。


クリスマスは「キリストのミサ」の日ということを知って、
ワイワイ騒ぐよりも、静かに祈りたいと思った。
今月祖父が他界したこともあり、なおさらそう思った。


しかし。
たまの休みとなると、どうしても朝寝をして午睡を貪ってしまう。

ようやく出かけようと思って家を出たのはもう日も傾きかけた頃。
とりあえず一番近くの田園調布教会に行っては見たものの、
クリスマスだというのに聖堂が閉まっている。


あきらめきれず、前から行きたいと思っていた、
四谷の聖イグナチオ教会に行くことにした。

現在の建物は1999年に坂倉建築研究所により、それまでの木造教会からRC造へと建て替えられました。


小説「聖書」新約篇【ウォルター・ワンゲリン】

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小説「聖書」新約篇。


旧約篇が主とその代々の民との長い契約の物語であるのに対し、
新約編は救世主(メシア)イエスを中心とした奇跡の物語。

正直、これまでは旧約と新約との関係がよく分からないでいた。
せいぜい旧約がキリスト誕生前、新約が誕生後、
という程度の認識しかなかった。


小説「聖書」の旧約篇、新約編を通して読むことで、
やっとその関連が分かった気がする。

それらは旧い契約、新しい契約なのだと。
旧い契約だけでは十分ではなかったから、
主は新しい契約を民と結ぶべく、神の子を地上に使わせたのだ、と。


法は守ることが第一目的ではない。
法を守ることで得られる秩序、幸福こそが第一目的である。

世は常に変化する。
だから法もそれに合わせて柔軟に変更できるものでなければならない。
しかし、本質を見失ってはならない。


愛ゆえに法がある。
法ゆえに愛があるのではない。


小説「聖書」旧約篇【ウォルター・ワンゲリン】

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小説「聖書」旧約篇〈上〉 (徳間文庫)

小説「聖書」旧約篇〈下〉 (徳間文庫)


とくに信心深いほうではない。

むしろ、実は神については懐疑的で、
それどころか科学の発達した現代社会で、
神について考えることは、ナンセンスだとさえ思っていた。

...この歳で大学にはいるまでは。


どこにでもあるような日本の田舎町で生まれ、育った。
家の中には仏壇があり、神棚があった。
生活圏の中に当たり前のように仏教と神道が存在していた。
とくにそのことに反発することもなかったが、
積極的に受け入れることもなかった。


二十歳で上京して自由の身になってからは、
宗教とはさらに疎遠になった。
事実上無宗教といえる。
当時はそれがごく普通の、「モダン」な日本人の姿だと思っていた。


しかし、大学にはいって芸術を学ぶうちにこう思うようになった。


神を信じない人は不幸である、と。
神を信じる人は幸福である、と。


薔薇の名前【ウンベルト・エーコ】

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中村先生の授業において、
象徴主義・神秘主義を習う過程で紹介された本。

イタリアの記号学哲学者、ウンベルト・エーコによる小説。

舞台は教皇と皇帝の二極体制下で権力と欲望が渦巻く中世イタリア。
世界中のあらゆる書物が収められた異形の文書館を持つベネディクト会修道院で
ヨハネの黙示録に沿って次々と起こる奇怪な殺人事件。
その事件を解決すべく派遣されたフランチェスコ会修道僧バスカヴィルのウィリアムと
その弟子、ベネディクト会見習い修道士メルクのアドソのコンビが事件に立ち向かう。
物語は年老いたアドソが当時を回想する形で語られてゆく。

二人のコンビが難事件を解決してゆく、と書くと、
あたかも名探偵ホームズとその助手ワトソンによる、
推理小説のごときイメージを浮かべてしまうけど、
ただの推理小説なら、上下巻で800ページにもわたる大作である必要もない。

この物語は、キリスト教の世界観を描いたものであり、
さらにその奥深くには宗教VS哲学、あるいは宗教VS科学の対決が描かれている。


宗教だけで世界は成り立たず、
さりとて科学だけでも世界は成り立たない。

目に見えるものと、目に見えないもの。
世界はこの2つで成り立っており、どちらか一方だけで成り立つものでもない。


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GW最終日。

卒制に取り組まねば、と思いつつ手は動かず。

外は晴れ。
少し前までの寒さが嘘みたいな真夏日。
これはもう出かけるっきゃない。

目黒に素敵な教会があるということで行ってきました。


カトリック目黒教会(聖アンセルモ教会)
アントニン・レーモンドの設計で1956年献堂。

丹下健三の東京カテドラル聖マリア大聖堂に負けるとも劣らない、
とても素晴らしい空間でした。


聖オルバン教会【アントニン・レーモンド】

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A4ギャラリーでアントニン・レーモンド展を見て、
バイト先のすぐそばに彼の設計した教会があることを知り、
昼休みに訪れてみました。


灯台下暗し。
外見に騙されるな。


外観ではお隣の聖アンデレ教会にすっかり心を奪われていました。


木造モダニズム万歳。


聖アンデレ教会【香山壽夫|東京都港区】

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神谷町でバイトしているわけですが。


天気のいい日はたまに昼休みに周囲を散策したりします。

東京タワーの近くにとても感じの良い、聖アンデレ教会という教会があります。
香山壽夫の設計で1996年竣工。

切妻型の屋根、円形の天窓、半円アーチのエントランス、
装飾のない、シンプルな幾何学図形のそのファサード。
ロマネスク様式なのかな。


中に入れるのかな、とおそるおそるドアを開けると...
鍵がかかってない。そして中には誰もいない。
入口には訪問ノートみたいなものが置いてあって、
真摯な気持ちで書かれた懺悔などが記されていました。
迷いの多いいまの自分には、何を書いたら良いか分からず、何も書けませんでした。

教会っていつもこんな風に開放しているのだろうか。
都会のど真ん中で鍵もかけずに迷い人を受け入れる。
何とも不思議ですが、都会だからこそ、こういう場所が必要なのかもしれない。


そして内部もとても素敵な空間でした。


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※外観編


東京カテドラル聖マリア大聖堂へ行ってきました。


自由学園明日館と同じくちょうど1年前に訪れているのですが、
素晴らしく感動したのでもう一度行きたい、という想いと
せっかく撮った写真をPCの故障で失ったのでもう一度撮りたい、という想いと
「勉強のため」という理由であれば内部を撮影できる、と友達から聞いて、
ぜひとも中を撮影したい、ということで行ってきました。

1年前と同じく快晴。
桜はまだ満開とまではいかなかったけど。


外観を一通り撮り終えた後、いよいよ中へ。
受付でおそるおそる撮影の許可を求めたところ、あっさりOKしてくれました。


[注意]

東京カテドラル内部は原則撮影禁止です。
特別に(...といっても受付で一言ことわっただけですが)許可を得て撮影してます。
画像の公開については悩みましたが、「学術利用であればOK」という許可の範囲内
...と自主判断して公開してます。

関係者の方々で問題があると思われる場合は
コメントなり問い合わせフォームなりで連絡していただけますでしょうか。

本ブログに掲載の写真は原則転用禁止(理由はこちら)なのですが、
本記事に掲載の写真の一切の転用をことさら"厳格"に禁じます。

とくに深い宗教心があるわけではないですが、
宗教の持つ荘厳さと礼節には敬意を持っているつもりです。


人間にとって一番の武器は「信じる」ことである。

...紆余曲折の人生を経て今、心からそう感じます。


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文京区にある東京カテドラル聖マリア大聖堂。

Wikipediaによれば、
1899年に木造でゴシック様式のものが建てられましたが
1945年の東京大空襲により焼失、
1964年に丹下健三設計で現在の姿の大聖堂が建てられました。

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[焼失前の旧大聖堂](出典不詳)

地理的には池袋駅東側の目白通り沿いにあります。