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2007年1月31日

二極性

ポートフォリオ

aikiboy_face3.jpg


人は誰でも2つの顔を持っている。
そして1つの顔を知ることでもう1つの顔を知ることができる。
そうやって人は自分というものを知るのだと思う。

  善と悪。
  光と影。
  明と暗。
  美と醜。
  優しさと厳しさ。
  ...etc、etc


でも中には自分の中に1つの顔しかもたない人もいる。
それが俗に言う「天才」だと、僕は思う。


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天才は純粋だ。
1つの顔しか持たないがゆえに他と比べることを知らない。
それはある意味、極みにいるといえます。
だから天才と呼ばれる人はなにかを極めた人たちが多い。

凡人はまず自分の中にある別の顔と比べる。
そして比べた顔よりちょっと上にあるだけでそれで満足してしまう。
だから凡人は極みに達することをなかなかしようとしない。
凡人は達人に「なれない」のではなく、「なろうとしない」のだ。

じゃあ凡人はけして達人になることはないのか、というとそうは思わない。
僕は天才とはある意味金髪が劣性遺伝であるようなものだと思う。
希少だから珍しく、美化される。
でも純粋がゆえに不純物に弱く、ちょっと不純物が混入するだけで
その天才性は失われてしまう。

天才の中身は弱く、脆い。けして強くはない。
だから世の天才と呼ばれる人は薄幸な人が多いと思うのです。
あくまで僕の主観で、凡人のひがみかもしれないのだけど。

でも天才と達人は違う。天才は弱く、達人は強い。
天才はなろうとしてなるものではなく、それはあくまで神のする「選択」。
人がする選択が「達人」なのです。


凡人が達人になるには。
自分の中の2つの顔を意識すること。2つの顔を受け入れること。
ただ2つの顔があるといってもそれは常に均等に存在するわけじゃない。
そしてはっきり見えるものでもない。
環境や状況、時間の経過によって時に2つの顔は混じりあい、
その比率は絶え間なく変わっているものなのです。

だから凡人は2つの顔を知ることが難しい。意識することが難しい。
受け入れることはなお難しい。
でもけして凡人は達人になれないわけじゃない。
その道の険しさゆえに達人になることを選択しないだけ。

達人になりたいなら自分を知るべきである。
逆に自分を知りたいなら達人になるしかない。
自分の中の敏感な2つの顔を知ることから極みははじまるのだから。

知ることを選択しないのは中途半端でいる、ということ。
世の中にはそれでよし、とする人が大勢いるけれど。
それでけっこう幸せなんだよ、というのなら僕はなにも言わないけど。


僕は自分を知りたい。自分の可能性を知りたい。
だから何が極められるかを探し続ける。
見つかるかどうかが問題ではなく、探し続ける、というその行為が大事なのです。
そしてそれは充実を得る、という1つの幸せの形だと思うのです。

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