« 進路・就職ガイダンス | メイン | 村井正誠記念美術館【隈研吾|東京都世田谷区】 »

2009年9月26日

進化するコミュニケーションツールと退化するコミュニケーション能力

ツール

sunset_0908.jpg


空がキレイな季節になりました。


太田総理で土曜学校を復活させることについて論議してました。

...正直呆れた。


  「1日増えたら遊ぶ時間がなくなる」
  「1日増えたらストレスがさらに増える」
  「運動会で順位をつけるのは差別だ」


...日本はどんどん弱体化している。
...そんな気がする。


今の日本人に欠けているのは「コミュニケーション能力」だと思う。



広告



僕が小学生の頃は、もちろん毎週土曜日は学校だった。
半ドンだったけど。

僕の家は喫茶店をやっていて、
学校が終わるとその手伝いをさせられたものだ。
それが嫌で嫌でしょうがなく、学校にいるほうがずっと良かった。
勉強している方がよほど楽しかった。

別段活発な子供でもなく、
一人で読書してるような当時から一匹狼だったけど、
多くの人間に囲まれる、というストレスなんてほとんど感じたことはなかった。
リーダーシップはないけれど、それなりに「人慣れ」はしていた。
僕の世代でも塾通いはめずらしくなかったけど、
僕の家はそんなもの許されず、進研ゼミが背一杯の譲歩だった。
当時は塾に通っている友人を羨ましく思ったものだけど、
僕は進研ゼミで競争率五倍の国立高専に合格した。

小学生の頃は運動神経がほとんどなく、
かけっこも遅い方だったけど、
運動会で低い順位をつけられたからといって
差別されたなんて思ったことなんて一度もなかった。

太田総理は「順位付けしないことは悪なの?」って質問してたけど、
僕は逆に問いたい。「順位付けすることは悪なの?」と。

もちろんただ一つの尺度で人の価値を絶対的に決めつけるのは良くないけれど、
本来競争による順位付けはあくまで相対的なものであって、絶対的なものではない。
一方で人は比較(競争)により、自分や他人をある程度知ることができる。
競争は価値を決めることではなく、多面的な人間の一側面を知るための手段なのだ。
適度な競争は発展的な社会を生む。
この競争原理の本質を教育するべきなのに。

順位付けが差別になる、なんてどんだけ過保護なんだ。
たかだか1週間で1日(実際は半ドンでよい)学校に行く日が増えるだけで、
モチベーションが下がるなんてどんだけひ弱なんだ。

...草食系なんて言葉が流行るわけだ。


テレビでは、学力低下や道徳低下を土曜学校復活の理由にしているけれど、
僕は一番足らないのは「コミュニケーション能力」だと思う。

「学力」は偏った価値判断しかできず、
学力のありなしが人の出来不出来を判断できるものではない。

道徳は本来「他人を思いやる」ことで成立する習慣である。
つまりみんなが仲良くやっていくための行為=コミュニケーションに
基づくものであるはず。


どんなに個性の時代といっても、
人の想いが集まるほど、なし得るものが大きくなることに代わりはない。

個性の時代とは個々が好き勝手にやって良い、ということではなく、
個々の個性を生かしてなし得るものの数や質、可能性を上げていこう、
ということなのではないだろうか。

インターネットの発達で、ブログやSNSなどの
コミュニケーションツールが多様化、高性能化する一方で、
表現する、会話する、といった人間本来のコミュニケーション能力は
退化してはいないだろうか。

コミュニケーションツールの進化とコミュニケーション能力の進化は
比例関係ではなく、反比例にあるのではないだろうか。

なにもかも便利にすることが、良い社会になる、ということではない。
僕らはコミュニケーションツールのあり方について、
再考すべき時期に来ているのかもしれない。


IQよりEQ。
僕らはアトムのスーパーロボットとしての知能やパワーにではなく、
感情豊かな「心」に惹かれるのだ。


この記事が面白い!と思ったら...↓
 
にほんブログ村 デザインブログへ

カテゴリ

タグ

関連ページ



コメントを投稿