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2008年11月20日

コース変更願

学業

tamabi_midgarden.jpg


八王子への転学申し込み期間が過ぎました。


...結局転学は取りやめました。
学科長の承認サインまでもらってたんですけどね。

理由はいくつかあるわけですが、
最大の理由はとるべき最適な選択が他にあると直前で感じたから。
もちろん転学を止めたからといって、建築への志が失せたわけではありません。
むしろその志がほぼ固まりました。


現時点で最適だと思う道。
早稲田大学芸術学校で建築を学ぶこと。
構造を重点的に学べる環境はやはり捨て難い。


...んで行くことは決定なのですが、問題は時期。


今のところ選択肢は2つ。

今年一杯で多摩美を中退して行くか。
4年次にダブルスクールで通うか。

年齢を考えるなら、道が決まっているなら迷わず前者を選択すべきだと思う。
でも現時点で僕は後者を選択したいと考えています。

今の世の中、学歴なんてたいした効力がないなんてことは
学歴不問の会社で14年働いた身には分かり切っているのですが、
それでも学位の称号は捨て難い。
現役学生の頃にやり残したことがそこにはある気がして。
大学中退は中途半端な気がして。


...と上野毛に残ることを選択したいわけですが、ここでまたもや障害が。



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tamabi_midgarden2.jpg


現在僕はプロダクトデザインコースに在籍しているのですが。


今回の一連の選択機会にて、建築への志が固まりました。
実際すでにスペースデザインコースの助手さんの仕事のお手伝いや、
仕事の現場を見学させてもらうことで、
徐々に建築分野での活動を展開しはじめています。

まだまだ仕事をこなす、というレベルではないけれど
模型を作ったり、パースを描いたり、構造計算をしたり。

そういう状況になった今、
やはりこのままプロダクトデザインコースで学ぶよりは
スペースデザインで学ぶほうが最適なのではないかと。


そこで今、コース変更を学校にお願いしています。
本来は2年生の前期が終わった時点で申請し決定したコースからの
変更は認められていないのですが、無理を承知で、という感じで。


実はコース変更の理由としては、
建築への志を固めた、という理由の他にもう一つ理由があります。

どうもこの学校のプロダクトデザインは「ものづくり」を軽視する傾向がある。
いや、この傾向はこの学校だけじゃなく、業界全体にあるのかもしれない。
僕にはそう思えてならない。
所詮デザインは「ものづくり」ではない、ということなのだろうか?

「もの」の機能はどんどん高機能化・複雑化して、
その設計はハードよりもソフト面を重要視する傾向にあるように思えます。
デザインの分野では「情報デザイン」という言葉がメジャーになっています。
情報デザインを重要視するのは別に悪いことだとは思わない。
コミュニケーションはデザイン分野におけるソフトウェアの1つなのだろうし、
そのコミュニケーションを研究することはとても価値あるものだと思う。

しかし。
結局最後の落としどころはハードウェアじゃないのだろうか?
どんなに高度で優れた機能をもったソフトウェアであっても、
それを収納するハードウェアが半端なものであれば、
そのソフトウェアは真価を発揮できない。

ソフトウェアそのものは姿は見えず、単体ではなんの機能も持たない。
それを見える「形」にするのがデザインという仕事ではないのだろうか。
「触れる形」にするのがプロダクトデザインという仕事ではないのだろうか。


「ものを作るのはメーカーの担当だ」

僕はメーカーでのエンジニア時代、
何度となくそういう態度のデザイナーを見かけました。
そういう状況で開発された製品はたいがい成功しなかった。

実際にものは作らなくとも、プロダクトデザイナーは
ものづくりとはどういうものなのか知っているべきではないのか?
いや、もっと言うならばプロダクトデザイナーは
常にクリエイター=「ものを作る人」であるべきではないのか?


ある大学の授業を機会に茶道に興味を感じています。
茶道は「禅茶」と呼ばれるほど禅宗の精神を受けています。
茶道と禅の違いは、禅があくまで精神面に重きを置いているのに対し、
茶道はあくまで心が反映される「もの」に重きを置いている点。

人は「心」が大事だという。
しかしその心はそのままでは見えない。
見えないものは理解が難しい。

だから人は「もの」を創る。
ものを介して人は心を知る。
ものに触れて人は愛を知る。


だから人は正しく「もの」を見なければならない。
だから人は正しく「もの」を使わなければならない。
だから人は正しく「もの」を創らなければならない。


世の風潮がソフトウエア重視にあるからといって、
それが正道だといえるだろうか?
それだけがただ一つの正道なのだろうか?

今、ものづくりの会社に元気がないのは、
その問いに対する答えではないだろうか?

そして一方で、
古き良きものづくりを見直そうとしているデザイナーが
世間から注目されていることもその問いに対する
もう1つの答えではないだろうか?


「校内にあるNCをもっと学生が自由に使える環境にして欲しい」と言ったら、
「この学校はデザインの学校であって、ものづくりの学校じゃないから」
と答える学校に未来はあるのだろうか?

プレゼンが終わった自分の作品を学校に放置するような人間に
良いデザインが果たしてできるのだろうか。
自分が好きになれない作品を他人が好きになるだろうか。
仮に好きになってくれる人がいたとしても、
それが自分にとって最高の幸せだろうか?


以前は建築はその規模の大きさゆえに学校で現実を語るには難しく、
プロダクトデザインのほうがその規模ゆえに学校で現実を語りやすいのかと
思っていましたがどうやらそうでもないみたいです。

形にすることにこだわらないから結局のところ夢を語って終わってしまう。
その夢は誰か(メーカー)が実現してくれる。
たぶんそれが学校のスタンスなんだろうけど、
他人が形にしてくれる夢なんてはたして自分の夢といえるのだろうか。

自分一人で全てはできないにしても、
自分でできるところまでは、自分で形にしたい。
そういう「こだわり」が必要なのではないのか?

今では小さいスケールでも正確に現物を模倣する模型を作る
スペースデザインのほうが現実的な気がします。


建築を志すからといって、別にものづくりに興味がなくなったわけじゃない。
むしろものづくりを核として建築にアプローチしたいと考えています。
僕の年齢ではみんながやるような正攻法では分が悪い。
ましてやこの不況、建築業界はとくに厳しい状況と聞いています。
なおさら正攻法では周囲との差別化は図れない。
僕なりの、「強み」を持って臨まなければ。

それが「ものづくり」や「構造」へのこだわりであるわけです。


たぶん今年中にコース変更願が受理されるかどうかが判明します。
受理されればもう2年この学校で頑張ろうと思う。

拒否された場合は...


...心の中では答えが出ている気がしますが、
今はまだそれを形にする勇気がないのでここでは述べません。


まあどちらにせよ、今年中にはっきりするけどね。


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