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2009年6月25日

うまくいかない快感 ~ルールなき現場から~

ビジュアルデザイン/ 学業

kouen_sohueshin1.jpg


久々の特別講演会。

...といっても過去の講演会で良いと思ったことがそれほどなくて、
今回も比較的興味の薄い、グラフィック分野のデザイナーが講演者。
水曜講義の振り替えで出欠とるから、まあ仕方ないか...

と、かなり消極的な気持ちで講堂へと向かったわけです。

グラフィックデザインにはそれほど詳しくないので、
今回の講演者、祖父江慎さんがどんな人でどんなデザインをするのかどころか、
名前すら知らなかったのだけど、一方でどこかで聞いたことがある気もする。

...この謎は講演を聴いているうちに解けるけれど、それはまあ後ほど。


しかし内容は予想以上に良かった。
キャラの面白さが若い学生には講演の面白さとなったかもしれない。

でも僕自身は今、「面白い」という言葉に対しては少々懐疑的な気持ちでいる。
「面白さ」は変化に対して感じる感覚だと思う。
そして変化というものは恒久的ではなく、持続的なものではない。

共感という理解の仕方ではなく、
「反面教師」という形でこの講演はとても勉強になったような気がする。
通常「反面教師」というと真似しちゃダメな見本、という感じで
悪いイメージで使うわけだけど、今回はそうではなくて、
対極を見せることでその反対にあるものを気付かせる、という
いわゆる日本的な暗喩(メタファー)を巧みに使って本質に気づかせる、みたいな。


現代社会では「秩序」こそが良いデザインとされてきた。
ものごとをうまく運ぶことが「仕事ができる」ということだった。

でも「面白い」ことって変化の中から生まれるものなんだよね。
理路整然としていて安定した状態では「良さ」はなかなか認識されないもの。


「うまくいかない」ということは好機なんだ。
だから「うまくいかないこと」に快感を感じることができるなら...
良いデザインができる機会が増えるんじゃない?


...半分賛成で半分反対。


秩序の中に無秩序がある。
それでお互いを認識できる。
どちらか一方だけでは、それ自身を認識することはできない。



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kouen_sohueshin2.jpg


しりあがり寿とか、吉田戦車とか、いわゆる「ゆるい」感じの漫画家のブックデザインを
祖父江さんはやはり「ゆるく」されてるわけですが。

ただ「ゆるい」だけではやはり世の中そんなに甘くなく、売れない。
徹底的に研究し尽くした後に到達する究極の「ゆるさ」に
辿り着いた人だけが売れる「ゆるさ」を表現できるのだと思う。
そしてそこに辿り着くまでの努力を表に出さないところがまたカッコイイ。

しゃべり方は楳図かずおで、見た目はリリー・フランキー。
中身はその両方、みたいな。

上野毛プロダクトの非常勤講師のゆるいプロダクトデザイナーである
梶本先生にもどこか通ずるところがある気がするのは気のせいだろうか。

(2009/12/30 時が経って読み返してみたらやっぱりそれはないな...と思った^^;)


祖父江さんの作品自身には、僕は正直惹かれない。
人によって好みが分かれる作家ではないだろうか。
だからといって、以前のように自分には益はない、と決めつけるようなことはしたくない。

僕はどちらかというと安定志向なので秩序を好む。
だから「秩序は『死』へ向かうものだ」という祖父江さんの言葉には反発を感じる。
秩序の中に美を感じるし、秩序は「生」へ向かうものだ、と思いたい。

しかしやはり反発は感じても、否定はできない気がする。
すべての『生』は本能的に秩序へと向かうものであり、
同時にすべての『生』はどんな生き方をしても死に向かう、という点では
やはり秩序は死に向かうものなのかもしれない。

しかし死がどんなに避けられないものであっても、人はそれを避けたいと思うし、
死を悪として、恐怖として遠ざけようとする。
不浄なものとして遠ざけようとする。
そしてその対極にある渾沌的な「生」を「面白く」と感じようとする。


死を避けんがために渾沌を求める本能と、生きるために安定(秩序)を求める本能。
お互い相反するものでありながら、どちらもまぎれもない「本質」。

人間社会という本能を鈍くさせる環境下では、
どの本能機能が突出しているかが一種の個性になるのかもしれない。

祖父江さんは前者の本能を肯定し、僕は後者の本能を肯定する。
それはどちらが正しいか、という問題ではなく、
自分が肯定する本能をどれだけ信じきることができるか。
それが自分の才能を伸ばす鍵となっているのではないだろうか。


祖父江さんの作品紹介の中で「オタマジャクシコースター」を見て、
前述のデジャブ感の謎が解けた。

sohueshin_otamacoaster.jpg

原研哉氏の「HAPTIC」の中にこのコースターが載っていたのです。

原研哉氏のすっきりとした「秩序系デザイン」の中に
祖父江さんの作品がリストアップされていることに驚いた。
でもよく考えれば不思議なことじゃなく、当たり前のことなのかもしれない。
「本質」には秩序と渾沌の両方が混在するのだから。

本当に良いものを分かっている二人が手を取り合って
また一つ良いものが生まれただけ。
本当に良いものはスタイルを選ばない。


秩序だけでも、渾沌だけでも良いものは生まれてこない。
両者が混在する中で、どのようにバランスをとるかが大切なんだ。
バランスのとり方は無限にある。

その無限の方法の中から自分のアプローチを決めるために、
僕はまず「秩序」を選択する。
ただ、どちらを選択するにしても、どちらも知っていなければならない。
それは確実。


やはり祖父江さんカッコイイ。
作品は好きになれないけど、人格はすごい好きです。

...「お前何様だよ」と自分でも思うくらい上から目線ですが、
まあ自分のブログで言うことですからご勘弁ください。

とにかくすごく勉強になりました。


2009/12/30 追記:

だいぶ後になって、
多摩美のとある教授がこの記事を読んで不快に思った、という噂を聞きました。

それであらためて読み直してみて、確かに傲岸不遜な部分もあるな、と。
冷静に記事を書いたつもりだったけど、やはりどこかで感情的になっていた。

だから全体の表現を少し修正しました。

しかしこのブログは、その時に感じた感情を記録しておくための備忘録であるので、
その感情を隠したり、誤魔化したりするようなことだけはしたくない。
ただ自分にプラスになるものだけを受け容れ、記録したい。
自分にマイナスになるものは否定ではなく、「受け流し」たい。
自分にはプラスにはならなくても、
他の誰かにはプラスになることが往々にしてあるわけで、
否定はその誰かを傷つけてしまうことだから。

だからできるだけ否定はしたくない。
否定するくらいなら、ブログには載せない。

...そう心がけているつもりですが、なにぶん未熟なもので、
それが徹底できないときもある。

今回の講演に関して言えば、誤解を招いたかもしれないけど、
間違いなく自分にとってプラスになった。
だから記録しておきたいと思った。


自分が未熟であることは十分承知。
これが新聞や雑誌、オフィシャルサイトなどの公式なメディアであれば
未熟で無責任な言葉は赦されないだろう。

しかしここは僕の場所だ。

ブログは未熟で無責任な発言が許される場所だと思う。
だからこそ、ブログは爆発的に普及した。

情報を受け取る側のインテリジェンスに委ねる。
それがWebの個性であり、メリットではないだろうか。
そのメリットにより「個」の価値は格段に向上した。

良いものだけが残り、そうでないものは淘汰されてゆくのはWebも同じ。

だったらとりあえず言ってみよう。


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