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2010年1月11日

A visit to Luis Barragan House 2【ワタリウム美術館】

建築デザイン/ 展示・イベント

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ルイス・バラガン展2度目の訪問。
前回からおよそ3ヶ月ぶり。

ワタリウム美術館の展示は期間中は何度でも入場できるフリーパスポート制なので、
もっと行きたかったのだけど、気づけば会期終了近づいてやっと2回目。
来週から大学の授業がはじまることを考えれば、たぶん今回が最後。

でもまあ、内容的には2回で十分かな。


「私の家は、私の心の避難場所でした」

...という言葉にあるように、バラガン邸は静謐にあってこそその魅力を発揮する。

どんなに良いディレクションをしても、
展示空間という目的上、一番重要な条件である静謐さを実現するのは難しい。
特に今回は休日に行ったということもあって、来場者が多め。
せっかくの空間もこう人が多くては興ざめ。

...というわけで前回同様、DVD映像をじっくり鑑賞。


前回は未完成だった図録もちゃんと発売されていて、
1,500円(税抜き)という値段の割には充実した内容だったので、
厳しい懐事情ながらも思わず購入。

全体の半分以上がバラガン自邸の解説。
さらにバラガン建築MAPつき。

展覧会で上映されていたDVDつきで4,000円だったのだけど、
さすがにそれはあきらめて図録のみ購入。


芸術は静的であるべきではないだろうか。

...最近よくそう思う。



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バラガンの作品画像については最初の訪問記事で紹介しているので、
今回はこの図録の中から心に残るバラガンの言葉について紹介していきます。


「静けさこそが、苦悩や恐怖を癒す薬です。
 豪華であろうと、質素であろうと、
 静謐な家をつくることが、建築家の義務なのです。」

バラガンの空間には「静けさ」が溢れている。

ピンクやイエローなど、明るい原色を使っていながら、
空間に静けさが溢れるのはなぜだろう...


「全景を見わたすパノラマよりも、正しく枠取られた風景のほうが美しいものです。」

その言葉が示すように、バラガン邸リビングの十字窓から見える庭の風景は、
モニター画面を通してみる映象でも、この世のものとは思えないほどの美しさ。
それだけに会場でその空間を再現するのは難しいようですが。

その言葉は建築の究極の存在意義のような気がするのです。
悠久に流れていく時間の中の一瞬を切り取る。
一瞬の美を切り取り、永遠の美として固定する。
それが芸術というものではないだろうか?
どれだけ正しく枠取るか、が芸術の良さになるのではないのだろうか。


映像芸術とか、インスタレーションといったものにずっと違和感を感じていた。
その違和感を、芸術の進化についていけない自分の感性の鈍さだと
これまでは思っていたけど、こうしてバラガンの空間の中にいると、
真の芸術はやはり静的なものである、という気がしてならない。

作品に「動き」が加わると、時間が流れてしまう。
そしてその魅力も流れて消えてしまう。

絵画や彫刻といった芸術が、最も長い歴史を持つのは、
決して技術的な理由からなのではなく、
静的である、という本質を内包するものだからではないだろうか。
そして建築もまた、静的な芸術である。
流れる時間を切断し、空間という場所に美を閉じこめる。


「庭を造ることは、建築の約束事から解放されるという喜びでもありました。」

バラガンは作庭家でもあった。
自邸の十字窓から眺める庭や、溶岩の大地を切り開いたペドレガル公園など、
美しい公園を創った。

閉じる場所があれば、必然的に開かれる場所も必要である。
だから建築家が次に向かう場所は庭や公園や畑なのだろう。

バラガンの空間には、自分にとっては未だ得体の知れないものである
「空間」というものの正体を掴むためのヒントが潜んでいる気がする。


「仕事は朝7時半から始めます。
 昼食は仲間とともに取り、午後4時ごろに仕事を終えます。
 それから建築の本や画集を見たり、小説を読んだりします。」

ル・コルビュジエも午前中は絵を描き、建築の仕事は午後から取り組んだという。
それが確固たる地位を築いてからの習慣だとしても、
日々の仕事の中に「余裕」を持つことの大切さを教えてくれるものであることは間違いない。

これほどまでに建築の魅力に取り憑かれ、恋い焦がれても、
それを生業とすることがためらわれるのは、現代の建築業の殺人的な忙しさだ。
朝早くから夜遅くまで仕事に追われ、建築の哲学について考える余裕すらない。

「建築の哲学?...そんなもので飯は食えないよ」
そんな時間に追われる余裕のない状況ではたして本当に良い建築は生まれるのか?


「私は生涯独身でした。
 私の生活を充たしてくれたのは、芸術と宗教でした。

40代も後半を迎えて、自分も生涯独身でいるような気がしている。
若い頃はそれは情けなく、みっともないことであるように考えていたけど、
今はなにかしら意味のあることであり、
自分のアイデンティティの一部でもあるようにも思えてきた。

そして自分の人生を充たしてくれるものとして少なからず芸術と宗教があることも。


キャンデラを知ってメキシコに興味を持ったのだけど、
バラガンを知ってさらにメキシコを訪れてみたい、と思うようになりました。



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