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2009年2月20日

節約は趣味ではない

情報デザイン

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政治経済にはとんと興味ない僕ですが。

「ぐるナイ」を観たノリで、
「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中」は観ます。

今週のテーマは、
「全家庭、電気代を毎月2000円分節約することを義務付けます 」


一般投票の結果は賛成24%、反対76%。
おおかたの人間が反対のようです。


僕も理想を言うならば、賛成したい。
しかし現実的に考えると反対せざるを得ない。


番組内の反対派でも、あからさまに無意味だと言う人は少なく、
有益だとは思うけど、難しい...という理由で反対してる人が多かった。



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あきれるのは反対派の中でも節約生活を全く無意味だと考えてる人たち。

大の大人が人間の傲慢さを意識していない愚かさ。
こういう大人たちが地球の未来を脅かす。


こういう人たちは言います。

「節約はやりたい人がやればいい。押しつけるな」
「お金を払ってやりたいこと(過度な消費)をやってなにが悪い」
「人間の社会活動が地球温暖化に与える影響など微々たるものだ」


さも節約は趣味に過ぎない、とでもいわんかの言いぐさ。
金を払いさえすればなにをしてもいい、という経済社会の腐敗思想。
最低限のエネルギーで生存活動を営む、という
生物界のルールの無視した社会活動。
こういう発言を大学教授などの知識人がしていることが嘆かわしい。


...人間はなんと自分勝手な生きものなのか。


太田総理が言うように、
たくさんモノを買え、と言いつつ、そのモノの使用は控えろ、と言うのは
自己矛盾しているのかもしれない。

現代社会ではあまりにもモノが多すぎる。
際限なく世の中を便利にしようと休む間もなく新しいモノが生まれてくる。

かくいう僕もモノにこだわる人間で、
新しい価値を持った新しい形を生み出したい、という願望はある。
でもそれは周囲の自然を破壊してまで生み出すべき価値なのか、
ということを常に意識したいと思う。

ただ便利にすることだけが、人の幸せに繋がるのだろうか。
何事も過ぎたるは及ばざるがごとし、度が過ぎれば有害になるだけ。
便利さの度合いは7割程度満たして、
後の3割は人間本来が持っている「工夫」でなんとかする。
これが古来からある「しつらえる」という言葉が指すことではないだろうか。

あまりにも便利になりすぎて、人々は工夫の精神を忘れた。
モノを楽しく使うことを忘れ、満たされないとモノを無能扱いした。
忍耐力が無くなり、すぐキレるようになった。
今の世の中の異常はそういうことではないのか。


人間がどんなに優れた叡智を持っていたとしても、
地球の全てを把握することなどできやしない。
人類が持っているデータなんて未知の領域に比べればチリも同然。
だからやはり人間は他の生物同様地球の限りあるリソースを
最低限で使用せねばならない。これは生物の本能であり、生物の義務である。


...と偉そうなことを言いながら僕がこの提案に反対せざるを得ないのは、
ひとえに貧乏学生だから。
エイトプリンスが言うように、貧乏人はすでにぎりぎりの生活をしている。
その中で2,000円というのは無理があるわけで。

金さんの修正案のように、収入の一定割合を節約目標にする案は
まだ説得力があるけど、それにしても明確な節約方法がはっきりしない
現状ではやはり難しい。

これもエイトプリンスが言ってたことだけど、
1日に冷蔵庫のドアをどれくらいの頻度や時間で開けているかなんて
意識してられないし、明確な節約方法が確立していない状況で
そういうことの意識付けを強制させられるのは
心的ストレスがかかってけして健常とはいえない。

いつもおバカ発言ばかりしているエイトプリンスも
今回はなかなかイイ発言するじゃない。


今回の提案はまさに「言うは易し、行うは難し」。
理屈は分かる。
でもやっぱり強制では人は動かない。

まずは人間の傲慢さを理解させ、意識を変えることから
はじめなければならないのだろう。

本質に気付けばやるべきことが見えてくる。

本質を気付かせるためにデザインでできること。
...そういうものを僕は探していきたい。


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