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2010年5月16日

ゴッホの「哀しみ」

アート/ 人物

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[灰色の帽子の自画像(1887年)](出典:Wikipedia)


「文学と芸術」の授業でゴッホを学びました。

これまで中村先生の他の授業でもゴッホは度々登場してきたけれど、
これほどまとめて紹介されたのは今回がはじめてかも。

フィンセント・ヴァン・ゴッホ、1853年生まれ。

最初は伯父の美術商の元で働くが、失恋を機に職を失い、
今度は牧師を目指すも狂信的な熱意が逆に人々に不気味がられ、この職も失う。
その後の1879年に画家を志し、1880年に37歳の若さで亡くなるまでの
およそ11年間で数々の名作が生まれた。

しかしゴッホが存命中に売れた絵画はわずかに一点。
その一点も弟のテオが購入したという。

...と聞きましたが、Wikipediaでは別の人が買ったとありますね。
また売れたのは一枚だけではなく、数枚だったという説もあるとか。

まあ、いずれにせよ、彼が存命中に彼の絵はほとんど評価されていなかった、ということ。
...これも、Wikipediaには晩年には彼の絵を高く評価する人も現れていた、とありますが、
いずれにせよ、彼がその評価の恩恵を授かることはなかった。


時を経て現代、ゴッホの絵は億単位で落札されるという。

...なんとも哀しい話じゃないか。

芸術は貧に足りてこそ、理解できるものだと思う。
成金共にゴッホの想いが、理解できるのだろうか。

芸術を理解する者が芸術界では自由がきかず、
芸術を理解しない者が芸術界を動かす、という不思議な時代。


それでも表現者は自分のエゴを信じ、
自分を見失わずに生きねばならない。

それが「強さ」というものである。



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授業中、スライドで紹介された作品の中からとくに気に入ったもの。

一番のお気に入りはサン=レミの『星月夜』だけど、
別途レビューしているのでここでは割愛します。


初期、ニューネン時代。

709px-Van_Gogh_-_Stillleben_mit_Bibel.jpeg
[開かれた聖書のある静物(1885年)]※画像はWikipediaより

まだまだおとなしめ。
比較的穏やかな精神状態が伺えます。


パリ時代を経て、アルルへ。

[アルルのフィンセント寝室(1888年)]
okm_orsay12_goph2.jpg

(画像は大塚国際美術館の陶板画)

有名な絵の1枚ですね。
独特のタッチが現れ始めてはいるものの、まだそれほど目だ立たない。
しかし、事物の形は歪み、パースが狂いはじめているのが伺える。


彼に同調したゴーギャンの到着を待つ日々。

Vincent_Willem_van_Gogh_138.jpg
[ゴッホの椅子(1888年)](出典:Wikipedia)

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[ゴーギャンの椅子(1888年)](出典:Wikipedia)


ゴッホの椅子が質素であるのに対し、ゴーギャンの椅子が立派なことからも、
ゴッホのゴーギャンへの尊敬、献身ぶりが伺える。
しかしゴッホの狂気と、ゴーギャンの傲慢は折り合わず、すれ違い、
最後には哀しい結末が待っていた。

ゴーギャンの椅子のロウソクは、ゴーギャンの不在を暗示し、
折り合わない二人を暗示しているのだとか。


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[夜のカフェテラス(1888年)](出典:Wikipedia)

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[夜のカフェ(1888年)](出典:Wikipedia)

鮮やかな色彩、簡素で平面的な構成は日本の浮世絵の影響を受けているとか。


バルビゾン派の巨匠、ミレーからの影響が伺える1枚。

[種蒔く人(1888年)]
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(画像は大塚国際美術館の陶板画)

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[種蒔く人(1888年)](出典:Wikipedia)

よりダイナミックな構成となり、ゴッホらしさがより現れている1枚。


ゴーギャンとの哀しい訣別の後、精神を病んだゴーギャンは
サン=レミの施療院へ入院。

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[アーモンドの花(1890年)](出典:Wikipedia)

弟テオの結婚祝いとして描いた1枚。
アーモンドの花って桜みたいなんだね。

しかし収入がない兄をテオが助けていたことをテオの妻は快く思わず、
さらにゴッホを追い詰めていく。


最期の地、オーヴェル・シュル・オワーズへ。

[オーヴェル・シュル・オワーズの教会(1890年)]
okm_goph6.jpg

(画像は大塚国際美術館の陶板画)

実物の写真も見つけました。
399px-Eglise_Auvers-sur-Oise_FRA_001.jpg
(出典不詳)

実際の風景に、ゴッホのエゴというフィルタがかけられているのがよく分かります。


最近まで絶筆といわれていた作品。

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[烏の群れ飛ぶ麦畑(1890年)](出典:Wikipedia)

そしてこれが本当の絶筆作品だとか。

640px-Van_Gogh_-_Weizenfeld_unter_einem_Gewitterhimmel.jpeg
[荒れ模様の空と畑(1890年)](出典:Wikipedia)

あちらの世界が垣間見える気がしなくもない。

この作品は未完で、この絵を描いている最中の1890年7月27日、
ゴッホは自らの胸を猟銃で撃ち抜く。

そしてその2日後の7月29日、弟テオに看取られて37歳の生を終える。

近年では自殺に疑問が浮上して、他殺説も出てきているとか。
彼を殺さねばならなかった人間は限られている。

ゴッホを哀しみの淵から救うための愛だったことを願ってやまない。


スライドで紹介された作品以外で気に入った作品。

[ローヌ川の星月夜(1888年)]
okm_orsay2_gogh1.jpg

(画像は大塚国際美術館の陶板画)

一番好きなのはサン=レミの星月夜だけど、これもなかなか。


[エッテンの庭の記憶(1888年)](出典:Wikipedia)
979px-Vincent_Willem_van_Gogh_098.jpg

ゴーギャンの影響が垣間見える1枚ですよね。


ゴッホやゴーギャンは大別すると、印象派に分類されますが、
正確には後期印象派(ポスト印象派)とされます。

印象派がこれまで御法度だったタッチを画面に表し、
絵の具を混ぜ合わせず、筆触分割により画面に光(明るさ)をもたらしたが、
あくまでタッチは控えめで主張しない、静的なものであった。

それに対しゴッホやゴーギャンはより大胆に、前面にタッチを表し、
タッチを主観的なものとして前面に押し出し、ダイナミックに表現した。
それはより人間の内面を押しだし、精神世界を表現しようとしたことにほかならない。

だから自分は、本来の印象派も、後期印象派もどちらも好きだ。

以後、西洋絵画はどんどん精神の内面を表出させるようになり、
ついには外部をも駆逐し尽くす抽象画へと至る。

それも1つの世界なんだろうけど、僕は形を持たぬ精神世界は好かぬ。

どんな高尚な精神であろうと、それは形に宿るものである。
形あってこその精神である。
形を駆逐した精神に健全性はあるのだろうか。


コンビニで見つけたCasaブルータス。

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印象派の特集をしてて、思わず購入。

現在開催中のボストン美術館展、今月末からのオルセー美術館展、
秋から開催のゴッホ展、と今年は印象派関連の展示が目白押し。

見に行きたいなあ...


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