本記事作成日:2026/08/21
展覧会訪問日:2019/11/21
はじめて千住さんの作品に出会ったのは、たぶん2013年の瀬戸芸だと思う。
直島での小さな展示だった。
千住さんのスケールの大きな作品に対して、瀬戸芸で与えられた空間は狭く、
かつ写真撮影も禁止されていたたため、ほとんど記憶に残っていない。
あとは長らく行ってないので今もあるかどうか知らないが、
羽田空港の出発ロビーに千住さんの巨大な作品があった。
当初は日本画より洋画の方に興味が向いていたこともあって、
自分の中ではそんなに注視していた画家じゃなかった。
その後、2020年に氏が高野山金剛峯寺の襖絵を奉納することになり、
その完成記念展として奉納に先駆けて開催されたのが本展である。
それをテレビで知り、見に行くことにしたのだが、
当時8年過ごした愛媛を離れ、岡山へと移住しようとしていた時だったわけで、
決して千住氏の熱烈なファンだったから、というわけではなく、
今思えば愛媛との決別に思いを馳せるべく足を運んだような気がする。
自分が愛媛で暮らしていた頃は、
企画展はもちろん、常設展の撮影も撮影禁止の愛媛県美術館ではあったが、
作品の撮影を許可する美術館が全国的に増える傾向にあったせいか、
本展も一部撮影可能だった。
ただ作品の性格上、会場が暗めだったこともあって、
カメラ素人の自分の技量ではあまりいい写真は撮れなかった。
日本画にも多少興味が向くようになった今、
自分の目には、千住氏は日本画の世界において革新的な存在のように見える。
自分が長らく洋画に比べて日本画に目がいかなかったのは、日本画の保守的な作品性による。
端的にいうとパットしない。
地味なのだ。暗いし素人目に分かりにくい。
自分の目にはそう映っていた。
千住さんの作品も決して派手さはないが、
ゴッホやゴーギャンらと同じく強烈で明朗なメッセージ性があるように見える。
緻密な滝の絵も、「人為」だけでなく、自然の重力に任せて落ちる「無作為」も取り入れている。
「人為」と「無作為」が混ざり合い、
それが画家の執念によって果てしなく繰り返されることによって
一つの光景が形成されていく様は圧巻だ。
2025年に軽井沢の千住博美術館を訪れた。
SANAAの作り出した明るくモダンな空間に実によくマッチしていたが、
一方で一切撮影禁止、という閉鎖性も少し残念だった。
金剛峯寺の襖絵はまだ拝めていない。
いつか見に行きたい。