原美術館で開催中の「アートスコープ2005/2006」も気づいたらもう最終日。
慌てて行ってきました。
原美術館はオラファー・エリアソン展以来2度目。
前回も最終日で混んでいたから今回も混んでるかなあ...
と思ったら意外と空いてました。
15時ごろ到着して1時間ほどで見終えました。
今回の展示では4人のアーチストの作品が展示。
うち印象に残った作品をレポートします。
1.名和晃平
1-1.[Water Cell]
筒状のボックスの中にあるジェル状らしき白いものから
吹き出る無数のシャボン玉のような泡。
泡はどんどん膨張して割れそうになる。
でも割れずに消える。はじける、という感じでもなく
静かに消える。そのさまが幻想的で美しかった。
1-2.[PixCell Deer #4]
鹿のビーズ。
鹿の剥製の周囲にビーズを散りばめた、のかな。
氷の中に閉じ込められた、という感じがやはり幻想的。
1-3.[Air Cell]
1m四方の箱が2つ。
それぞれ気泡らしきものが規則正しく配置されている。
この作品自体は動体ではなく静体なのだけど、
人が動くことで、人の視線が動くことで、気泡の並び方が
変化しているように見えるのがすごく不思議。
2.森弘治
2-1.[ライフ オン/オフ]
割れたワイングラスからワインが漏れていくさまをビデオで流している
のですが一見静止画のようにみえ、よく見ないと「動き」が見えない。
特に大きなインパクトはないけれど、人の視線を、人の興味を
巧みに誘導しているなあと感心しちゃいました。
2-2.[After a painting]
同じくビデオ動画。
女性がコップに水を注いでいる様子なのですが、
動いてるのは水が注がれる部分だけ。
いつ他の部分が動き出すのだろう、という興味を
巧みに誘導しているなあとこれまた感心しちゃいました。
* * *
歯ブラシ、コップ、茶碗、はし、スプーン...
人は日常生活で触れるものについては普段あまり意識しない。
「常識」というデータベースに登録されているものについては、
人は普段あまりそれらを意識しないものです。
しかしある日突然、非日常的なものに触れる瞬間、
「常識」というデータベースにないものを目の前にした瞬間、
人が陥る状態には二種類のパターンがあります。
感動するか、嫌悪するか。
受け入れるか、拒否するか。
すべてのものに感動できれば幸せなんだろうけど。
しかしすべてのものを受け入れることは意外と難しい。
いろんなデザイン展示、美術館へ行くようになってそう思った。
今回の展示では4人のアーチストの作品が展示されていて、
うち二人は感動し、あとの二人はそうじゃなかった。
「感覚(Sense)」で情報が入力され、内部でその情報が処理されて、
「感情(Emotion)」として出力される。
デザインをするにはセンスが必要だ、とはよく聞く言葉だけど
僕は「感情」も大切な要素だと思う。
いいセンスに、いい感情。
それがいいデザイナーになるために必要なもの。
感情はコントロールするもんじゃない、という意見もあるだろうけど、
「考える葦」である人間は出力としてよい感情をひきだすことも
能力として磨くことができると僕は思う。
大切なのは「自分の解釈が正しいかどうか」ということではなく、
「自分で納得できるなにかしらの結論を導き出せるか」ということだと思う。
嫌悪という感情は自分には理解できないもの、自分には受け入れられないもの
を目の前に突きつけられたときに発生する。
要は中途半端が一番よくない、ってこと。
何かを見て、「わけわかんねー」で終わらせることが一番よくない、ってこと。
自分は今なにが受け入れられて、なにを拒否してしまうのか。
その理由はなにか、どうすれば受け入れ幅を広くすることができるか。
自分で納得できる答えを僕は常に持っていたい。
それを探るために僕はいろいろな「非日常的なもの」を見る。
そのために美術館に足を運ぶ。
「目を養う」「センスを磨く」「感性豊かになる」とはそういうことではないだろうか。