ウェブ人間論 【梅田望夫・平野啓一郎】

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ウェブ進化論に引き続き本書をみ読みました。
今回は梅田望夫さんと作家の平野啓一郎さんとの対談形式による共著、
となっています。

平野さんの本はこれまで読んだことないどころか、
この本に出会うまではその存在すら知りませんでした。
僕の認識ではWebをよく知る人(梅田さん)と、よく知らない人(平野さん)が
対談することでWebが人間に与える影響やWebに関わる人の像を浮き彫りにしよう
というのがこの本の趣旨だと感じました。

Webの製作現場やマネージメントに携わっていないとはいえ、
曲がりなりにもこの2年間ずっとWebの動向に注目してきました。
そういう意味では僕は梅田さんの意見に同調することが多かった。
ウェブ進化論を読んだときと同様にまったく新しい事実に出会う、というよりは
これまで積み重ねてきたものが整理され不明瞭だったものが明確になった、
という感じです。

よくネットのことを「ネット世界」「Web世界」、
それに対する現実社会のことを「リアル世界」と表現し互いを対比する。
本書でもそういう対比がされていたし、僕自身それらの言葉を多用し、
対比をしていたし、そうすることに何の違和感も感じていませんでした。

しかしこの本を読んでなぜか僕は初めて「ネット世界」という言葉に、
「ネット世界」と「リアル世界」を対比することに違和感を感じました。
それはこの本に対してではなく、これまで不明瞭だったものがこの本を
読むことでクリアになったことで感じた感覚なのかもしれません。

ネットは「世界」でもないし、「社会で」でもないと思う。
ネット自身は膨大な情報のデータベースであり、
ただの「道具(ツール)」に過ぎない。
道具はそれを使う人間がいなければ何の効力も発揮しないし、
データもピックアップされなければ存在しないのと同じです。
Googleがその巨大なデータベースを整理して、
望むデータを瞬時にピックアップできるようにする「検索」機能を
強化するとWebというツールはさらに強力なものになった。

ネット(Web)は道具としてその能力があまりに強力で、
やろうと思えばなんでもできてしまう。
実体がないことで人間の想像に限界がないようにWebは無限の広がりをもち、
あたかも果てのない世界にいるような錯覚に陥ってしまう。
それが「Web世界」といわれる所以なんだろうけど、
実際そこに「世界」は、「社会」はないと僕は思う。

どんなにWebでいろんなことができたとしても、
結局それはWebというツールが置いてあるリアル世界での行為であり、
リアル世界の一部でしかないのだと思う。

その認識ができるかどうかの可否が今後
Webをより有効なツールとして活用できるかどうかの壁ではないだろうか。

本書中でとかく梅田さんはWebのプラス面に希望を持ち、
一方で平野さんはWebのマイナス面に懐疑を抱く。
それはどちらも間違っているわけではなく、Webのその強い効力ゆえに
多すぎる選択肢の中からそれぞれが選択した結果なのだと思う。
道具として優れていればいるほどであればあるほどその道具は
人を助ける利便性と同時に人を傷つけてしまう危険性という諸刃の剣を
持ち合わせるものだと思う。

Webは本というメディアを駆逐してしまうのではないか。
Webは著作権という権利をうばってしまうのではないか。
Web固有の匿名性による暴力が人を傷つけてしまうのではないか。

...平野さんはさまざまな危惧がされてますが、それは確かに
現実に起こっているWebのマイナス面なのだろうけど、あくまで
それはWeb自身がもつ個性ではなく、それを利用する人間の個性ではないか。
そう考えればそのマイナス面を改善しようとする人間の個性があれば
必ずクリアできるものだと僕は思う。


人はもっと繋がれる。
そうすることでより大きなことが人はできるようになる。
より大きな幸せを感じることができるようになる。
僕はそれを信じたい。